10月 17 2014
KAKEXUNβ版(カケズンベータ)オンラインゲーム制作プロジェクト
友人の江口氏がKAKEXUNβ版のオンラインゲーム制作プロジェクトをスタートさせた。
このゲームのコンセプトは先日も少し紹介したように、若くして夭折したゲームクリエーターのカリスマ的存在・飯野賢治氏によるものだ。ヌーソロジーに親しんでいる人にはすぐに分かると思うのだが、江口氏の密やかな画策で、PRビデオではヌーソロジーのサブリミナルが行われている(^^)
すでにもう、私は存在しない——
あなたと私に明確な境界はない——
私たちはいま、この惑星のマグマとなる。
何と強烈なメッセージだろう。
非生命の方が生命よりもより生命的であるというドゥルーズ的メッセージがここには満ちている。
有機的な生を超えて、無機的な生の中に有機的な力の本源を感じとること。
物質的な生を超えて、エーテル的な生の中に物質的な力の本源を感じとること。
おそらくエーテル的な生の中には僕らに馴染みのある物語はない。そこにあるのは物語を生み出した力の出来事、ある単一の純粋な出来事があるのみだろう。ひょっとすると、このゲームに登場してくる数字や幾何学はその出来事を構成するシーニュ(記号)に相当しているのかもしれない。世界はこのシーニュ化された暗号を解くことによって、そのつど、そのつど、自分自身をn次元からn+1次元へと解放していくのだ。
このゲーム制作、クラウドファンディングというスタイルを取っているので、果たしてどういう展開になるのかは僕にもさっぱり分からない。でも、一つだけ言えることは、誰もがすでにn次元からn+1次元への解放に向かって時を歩んでいるということ。その解放のビジョンを少しでも感覚に上げてくれるものとして、このゲーム制作の進展を影ながら応援したい。
それにしても、タウくんとフェルミちゃんがかわゆい(笑)
10月 31 2014
ツルギは切断するものでもあり、連なりを作るものでもある
基本的なことだけど、4次元というのは視線のこと。つまり奥行き。視線は3次元の中にはないからね。これからの常識。視線を3次元の中に入れて考えるから、人間は物質と同列に扱われてしまう。もうボロボロだよ。まったく。
自分がいくら3次元の中で動いたとしても、視線は4次元なんだから、全く動いてないよ。それをしっかりと認識しよう。くどいようだけど、動いているのは世界の方なんだって。
「じゃあ、視線を動かすにはどうしたらいいの?」って君は聞くかもしれない。簡単だよ、他の人の視線に意識を移動させればいい。他の人から見た世界をイメージするのさ。それが4次元での運動なんだ。つまり、無数の視線の集まりが4次元空間ってやつを作っている。
もうすぐ、マジで高次元認識の力が地球に降りてくると思うよ。今までとは全く違う世界が開いてくる。物質だけにこだわっていると、おいていかれちゃうかもよ。まずはこの「動いていない自分」の位置を認識に上げよう。それが必須。
普通、運動というと、僕らは動くものをイメージしてしまう。だけど、動きが分かるのは裏に動かないものがあるからなんだよね。運動の認識はこの〈動く-動いていない〉という二つの「力」が「重」なって起きている。だから、「うごく」という字も「動く」と書くんだよ。
僕らは生命力と聞くと、ついついエネルギッシュに活動している様をイメージしてまうけれど、生命力の本質は、むしろ動くことの裏にあるこの不動性にあると考えないといけない。この不動性は世界を観照している精神のことでもあるんだよね。つまり、精神は奥行きの中にあるということ。
ちょっと難しいかもしれないけど、このへんの不動感覚をドゥルーズという哲学者は「差異」という言葉を使って、次のように言っている。
こうして差異が実体となったと同様に、運動はもはや何ものかのもつ性格ではなくて、運動そのものが実体的な性格を帯びたのであって、運動は他のいかなるもの、いかなる動体をも想定することはない。持続、傾向とは、自己に対して自己の持つ差異である。そして自己に対して差異を持つものとは直接的に実体と主体との一致である。——ドゥルーズ『差異について』P.42〜43
ここに書いてある「自己に対して自己の持つ差異」と言うのが、ドゥルーズ哲学における「差異」の意味だね。「自己に対して差異を持つものとは直接的に実体と主体との一致である」と書いているように、「差異」はわたしをかつてのわたしから引き剥がし、宇宙的実体の中へと誘うものとなる。まぁ、言って見れば、もの自体と一体化していくわけだ。
運動が物質空間で表現されるのに対して、今のところ人間は精神が持つこの観照性を空間として表現できないでいる。とは言うものの、3次元空間を超えた空間の数学的形式はすでに物理学なんかで使われている。それが虚空間や複素空間だと思えばいい。この虚空間のことをシュタイナーは反転した空間という意味でエーテル空間とも呼んでいる。
エーテル空間はシュタイナーにとってはエーテル体、つまり生命力の場だった。だから、エーテル感覚は生命感覚とダイレクトに繋がっているわけだ。そういうわけだから、エーテル空間の感覚が希薄になると、自分が生きているのか、死んでいるのか、よく分からなくなってくる。昔、あったよね。「透明な存在」っての。あれだね。
世界には物質空間しかない、なんて、本気で信じていると、君たちもこの「透明な存在」に引っ張られていくから、十分に気をつけないとね。——奥行きを大切に。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: エーテル, シュタイナー, ドゥルーズ, 奥行き, 差異と反復