10月 16 2020
10月 16 2020
ここからここへと風景の中を歩く。
ここは動かない。
風景は動く。
知覚野の下に息づく別様の空間。
そこでは時空は皮膜に変わってる。
永遠の表面が露わになる。
――体の中だ。
永遠の表面では、
一つの物もまた他の物を知覚している。
モナドのモナドへの映り込み。
記憶の乱交状態というやつだ。
そこでは時間は、
水蒸気の昇華によって生まれる霜のように、
結晶化している。
誰もが夢のなかで分裂症者となってしまうのも、
眠りがこの結晶化した時間の中を覗かせるからだ。
この永遠の表面を突き抜けること。
それによって、
人間という夢から目覚めることができる。
半田広宣 |
7月 26 2021
モナドの鏡たち
「包まれつつ包む」というモナド化。
そして、「包みつつ包まれる」という逆モナド化。
モナドの思考はこの双方が立ち上がってこそ、始めてその美しい姿を表す。
モナド化の方は幅世界でも割と容易にイメージすることができるが、
逆モナド化の方は奥行きの収縮に気づかないとそのイメージ化はなかなか難しい。
ヌーソロジーから見たモナド化の基本的な秩序をNCで示しておこう(下図参照)。
Ψ6においてわたしは世界に包まれている。
Ψ5においてわたしは世界を包んでいる。
Ψ5の収縮においてΨ5は世界に包まれる側に回る。
こうしてΨ5は、
最初のΨ6から見るなら、
単純実体(モナド)として現れる。
それが物質粒子だ。
他者側のモナドも考慮するならモナドとは鏡でもある。
互いが互いを映し合い、その映り見のなかで、
モナドは不連続ながらも相手と繋がり、存在の星座(Konstellation)を形成していく。
イデアはモナドであるほかなかった。
そしてモナドもイデアであるほかなかった。
そのようにして世界は映現されている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: モナド