6月 21 2019
高次元の空中戦の時代
ヌーソロジーから見ると、人間の無意識は「垂質」の幾何学によって生み出されているもののように見える。「垂質」は人間の意識では自己から広がっている空間として意識されている。持続空間においては垂質は一本の「線」でもあり、それが物理学では物質粒子のスピン(スピノル)として記述されている。
下図上で「非局所的中心」持つ空間(自己側ならΨ5)側が例のキットカット実験で紹介した空間の方だ。クォークではΨ5がアップ、Ψ6がダウンに当たる(左巻き)。他者側は右巻きと考えるといい。もちろん、他者から見ればまったく逆も言えて、その領野が反粒子の世界として反映されていることになる。
Ψ6の方は簡単にイメージできると思うけど、問題はΨ5の方。これが自己意識のすべてのベース(純粋持続=自己の精神の基盤)になっているにもかかわらず、私たちはこの空間の存在にまったく気づけていない。
これは「いつでも今、どこでもここ」を担保している、OCOT言うところの「人間の反対」の位置と呼んでもいいものだ。このΨ5の位置の顕在化のことをヌーソロジーでは「位置の等化」と呼んでいる。
この「垂質の対化」の構成をベースに、無意識は垂質のレイヤーを多重に構成していくことにより人間の無意識構造を作ってる。自己意識はその構造によって支えられて活動している。
ヌース新刊の『奥行きの子供たち』P.407で紹介した象徴界・現実界・想像界との対応図も、このNCをベースに発展して生み出されてくる構造だと考えてほしい(下図下)。
この図からも想像できるように、意識というものは時空の中に見える物質から生み出されたものではなく、時空そのものが持ったダイナミックな反転の連続性の中で構成されている。
そして、その構造の運動は無限に続いていて、その無限性が時空の中で物質として射影されてくるような仕組みになっている。ヌーソロジーが主張する霊的唯物論とはそういうもの。
ニーチェ=ドゥルーズも予言していたことだけど、いずれにせよ、これからの時代は受動的ニヒリズムと能動的ニヒリズムという二つのニヒリズムの時代に入ってくる。否、もう入ってるんじゃなかろうか。
ヌースはその意味でいうなら、能動的ニヒリズムの一つの類型だね。
能動を持って受動を経験するか、能動が見えないまま受動に巻き込まれていくかでは、その意識状態に雲泥の差がある。
まさに、人間存在の命運を賭けた高次元の空中戦の時代だと思うよ。
ちなみに………
高次元から見ると、
他者は外部にいるのではなく自己の内部にいる。
内部に他者を見出して、
そこに共同体を作らない限り、
まともな社会はやってこないと思う。
この空中戦はその意味では、
社会全体を内化させるための戦いでもある。
「語りえぬ共同体」は存在してるんだよ。
8月 6 2019
瞬間的形態と永遠的形態
本来4次元である奥行きが3次元に同一化している―この無意識的な状況が幾何学的に端的に表現されているのが電子のスピンだ。
物理学では、これは正六面体の立体対角線(√3エッジ)が、それに内接する正八面体の立体対角線(1エッジ)に射影されている状態として表現される(下図参照)。
この図はヒルベルト空間上の表現なので、通常の空間認識とは反転した空間での表現になっている。つまり、非局所だ。
しかし、その意味はカタチを見れば歴然だろう。スピンとは時間の反転投影だということ。
奥行きにおいて時間が持続空間として結晶化している様子が表されている。
そういえば、OCOTは昔こんなことを言っていた。
―人間が形と呼んでいるものとは、カタチが反転して現れたものです。
この言葉の意味が皆さんにも少しは分かってきたのではないか。
瞬間的形態と永遠的形態・・・それらも反転の一つの効果だということ。
何度も言うが、素粒子を対象として見るのはいい加減止めにしてほしい。
それらは反転した時空に棲むわたしたち自身だ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 素粒子