7月 16 2019
27年ぶりの再会
先日行った東京ヌースレクチャーにとても懐かしい方が来てくださっていた。建築家の近澤可也氏だ。近澤氏は東大の丹下研究室の出身で、あの世界的に有名な代々木オリンピックプールの設計・デザインにも参加され、丹下魂を日本の建築界に継承している著名な建築家の先生だ。
ちょうど『シリウス革命』を出版した直後だったろうか。氏からうちで何かやってくれないかとお呼びがかかり、中野にある近澤氏のパンデコンデザインセンターでレクチャーもどきのことをやったのを覚えている。実に27年前。僕がまだ40代のときだった。
あのときのうれしさは今でも忘れていない。グリーンを基調としたパンデコンセンターの建物。階段の踊り場のリノリウムの匂い。今でもあのときの風景が昨日の出来事のように蘇る。
一通り話を終えた後、近澤氏の方から「とても面白いよ。すごいね。これからも是非、頑張って」と言葉をいただいた。当時は、ヌーソロジーも今以上に怪しげな思想だったし、おまけに、こちらは40そこそこの若造だ。近澤氏にエールをいただいたことがどれだけ自信になったことか。
Facebookやツイッターでは挨拶させていただいていたが、直接的には、あれから一度もお会いする機会はなかった。氏の御厚情に心より深謝したい。
7月 19 2019
今日も表相の等化の話
僕らは物の回転を3次元空間を前提として考える。
だから、物を180度回転させれば自分が見ている表相が反対側にいる相手に見えるのは当然のことだと簡単に片付ける。
ヌーソロジーの考え方は逆だ。
物を180度回転させたとき、自他がそれを同じ表相と見なすから、そこに3次元認識が生まれてくる―そう考える。
なぜ、そんな考え方をするのか。
それは、いつも言ってるように視線を第四の次元として考えているから。視線は3次元の中にあるものじゃない。まずはそのことを感覚にたたきこむこと。
話を分かりやすくするために、まずは視線を3次元に落として考えてみよう。
たとえば、一枚のスクリーンを挟んで二人の自他が対面している状況を考えてみる。このとき、自他に見えるのは、スクリーンの表と裏だ。つまり、2次元の表裏がそれぞれに見えている(下図上)。
ここで、この状況を一次元上げ、視線を本来の4次元に戻してみよう。
視線を4次元と置くと、自他は下図のように3次元を表と裏から見ていることになる。だから、自他が見ている3次元は4次元方向で裏返されていて、ほんとうは互いに反転している(下図下)。
だけど、「物」は平気でその空間を繋ぎ、自己側の視線の中にあった表相を相手側の視線の中に送り込んでいる(実際には確かめようがないので、「多分、送り込んでいる」という但し書きが必要だが)。
言い換えるなら、物は、ほんとうは4次元空間上を回転しているということになる。視線を含めた空間で考えるなら、物の回転はそのように描像されないといけない。
難しい数式は省くが、ここで起こっていることが物理学がスピノル場(物質粒子のスピンが活動している場)と呼んでいるものの本質だと考えないといけない。
奥行きの場は無限小に縮んでいるのだから。観察次元は物質の根底で物質を作り始める側に回っている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0