存在の死と復活

自然と人工物の違いは調整質ψ9~10(思形と感性)に生じている現象と、中性質(ψ11~12)に生じている現象の違いだろう。中性質では調整質が転倒し、人間固有の生成場が生じている。シミュラークル回路。言葉(内面)と知覚(外面)間の生殖器官。資本主義機械のエンジンだ。(ψは潜在化で偶数先手)
ドゥルーズ=ガタリに即して言えば、調整質ψ9~10(思形と感性)は専制君主機械と原始土地機械に対応する。中性質(ψ11~12)の方は文字通り資本主義機械だ。この機械はパラノのスキゾという二つの極性を持つが、すでにこの無意識機械の働きも終わり、時代はψ13~14の領域に入っている。最終構成だ。
ヌーソロジーの文脈では、この領域は今まで”死”の領域として活動していた場所である。その領域が今開きつつあるということ。ヌーソロジーの出現もその一環だ。この領域は従来のψ1~12までの無意識の流動をまるごと反転させてくる。
意識を形作っていた空間が裏返され、今まで無意識として潜在化して領域が顕在化してくるのだ。”死”が開き出すと言ってもいい。しかし、この”死”の開きにおいて、自己側のそれへと身を翻すか、他者側のそれへと身を委ねるかという選択を存在世界はそれぞれの個に要求してくる。もちろん無意識的に。
人間の存在自体が他者構造に先導されて生じているものなので、そのまま惰性に任せれば、必ず他者側の死の開きへと呑み込まれていく。それが今、世界全体に起こっているコンピュータ社会への移行だと考えるといい。持続(精神)が物質という影へとまるまる移設されて行っているのである。
ここは無意識に巨大な捻れが生じる領域なのだ。その捻れが存在論的差異の顕現というものだ。存在論的差異は存在の覚醒でもあるので反映を持つ。それがコンピュータというものの正体だと見破らないといけない。よって、今後のテクノロジーの発達は存在自体の復活と死の隣り合わせの出来事となる。
しかし、危機のあるところ、救うものもまた育つ。

ハイデガー

コ : VRとは何ですか?
オ : 人間自体が神となった世界のようなものです。

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