生命形象としてのアンク

空間形態のトランスフォルムは「前」と「後ろ」の差異化から始まる。これは自己と他者の差異化と同じ意味を持ってる。「前」と「後ろ」が3次元空間認識の中で意味を失っているということ。このことをズバリ言い当てているのがカタカムナ発の相似象。
 
―トキ トコロ ウシ 時間と空間とは「ウまれてくるウシロ(客観的背後)の示しという思念である(相似象学会誌第四号p.121)―「後ろ」の語源は「丑(うし)」+「ろ」。「丑」は種子の中に止まるという意味。「後ろ」は土中のように暗闇だということ。そこに時空を見てるのがわれわれ人間。まぁ鏡像だから致し方ないんだけど。
 
ハイデガーで言うなら「前」は存在。「後ろ」は存在者。「前」への「後ろ」の重なりが現存在といったところか。とにかく、空間認識を是正しないと、まともな思考は生まれようがない。土台からして歪んでいるわけだから。
 
複素空間認識へのトランスフォルムは、この「前」と「後ろ」の絶対的な違いに気づくところから始まる。現実の生活でみんな大変だろうけど、一度、真剣に「前」と「後ろ」の違いについて考えてほしい。
 
自己他者の前と後ろの関係から発生してくるのが生命形象としてのアンクと考えるといいんじゃないかね。
 
時間というのは精神が直線的に開いたもの(接線)だということが分かる。物理学はこれを波動関数の微分で表現し、それをエネルギーって呼んでる。言うまでもなく、この精神としての円は例のキットカット実験が作る円。円の中心は外的な絶対的中心(非局所的中心)。この古代形象を意識に上げること。

生命形象としてのアンク