四次元の花嫁

僕らは常に世界を対象として見るだけで、対象化している自分を世界の中に置こうとしない。
 
そうした眼差しは硬い。それが理性の眼差しだ。
 
眼差しはほんとは世界に溶け込んでいる。
 
世界について思いを馳せるときは自分を特権化せず、世界に溶け込んだ眼差しの中で世界となって考えないといけない。
 
世界を対象として見なすなら、僕ら一人一人は世界から疎外された孤独な独身者となってしまう。
 
そういう場所では、独身者は妄想と欲望の中に生きるしかない。
 
何を叫んでも、たとえ愛の歌を美しく歌い上げたとしても、その声は誰にも届かない。
 
そのような場所には運命の人などいないのだ。
 
「見る」という視線が対象化から逃れ、柔らかな眼差しとなって対象世界に溶け込んでいくとき、独身者は花嫁を見出す。
 
性愛の本来とはそういうものだろう。
 
そこで、一瞬は永遠と出会い、ここはかしこと出会い、外部と内部の境界が消え去っていく。
 
―花嫁は4次元にいると言ったのはデュシャンだったか。
 
少年ナルシスの傍で、今日も何も喋らずそっと寄り添うエコー。
 
神話ではナルシスはエコーの想いに気づくことなく命を絶ったけど、君の中では、ナルシスはエコーの想いに気づくことができているだろうか。
 
世界を対象化して紡ぎ出される言葉はもうほどほどでいいのではないか。
 
そんな言葉が人間の歴史の中でうずたかく積もっては、花嫁の姿を完全に見えなくさせている。
 
花嫁は最初から目の前にいるんだよ。
 
そして、いつも、君の眼差しに触れられることを待っている。
 
※下写真 
《彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも》
M・デュシャン

彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも