9月 18 2008
時間と別れるための50の方法(37)
●3次元空間を丸める
さて、さて、前回の続きです。自分の周囲に広がる空間の果てのどの方向を見ても、自分の後頭部が見える??このことは一体何を意味しているのでしょうか。ここはもっと頭をスッキリとさせなければなりません。こういう状況は次元を一つ落として2次元で考えるととても分りやすくなります(下図1参照)。
今、大きな球面上にアリが一匹います。アリにとってはこの球面が無限の平面世界のように見えています。そこにアリ神がやってきてアリに交信を送ります。
「全きアリよ。おまえの遥か前方を見よ。」
「ほよよよ。遥か前方………と言われても、視力が追いつきませんがな。」
「肉の目ではなく、心の目で見るのじゃ。」
「ほよよよ。。よよ。」
「心の目で見れば、そこにはおまえの後ろ姿が見えることじゃろう」
「あっしは複眼なんで、そんなこと言われても………………。」
「へ理屈はよい。どうじゃ、見えたか。」
「ほよよよ………はぁ、おぼろげですが。」
「よろしい、では、そこで、グルリと回ってみなさい。今度は何が見えるかな。」
「ほよよよ………後ろ姿しか見えない、ということにしておくざんす。。」
「まぁ、それでよい。わしがおまえに教えたかったことは、”うしろの正面”とは、おまえ自身の顔面だということなのじゃ。このタマの仕組み、よくこころしておくのじゃぞ。」
「ほよよよ。よぉ分らんですが、アリ神さまのありがたきお言葉として聞いておきますざんす。ほよよよ。」
次元観察子ψ5のカタチとは、ここでの2次元がそのまま3次元に拡張されたものと考えるといいと思います。つまり、観測者の前方向はx、y、z方向のどちらを向こうとも、どの方向も意識が持った指向性の構造としては実際は無限遠点で円環状に閉じているということです。
このようにx、y、zの3次元の各方向が円環構造を持った3次元空間は数学では3次元球面と呼ばれ、S^3(エス・スリー)という記号で表されます。通常の球面(2次元球面/S^2という記号で表します)が3次元空間の中で埋め込みが可能となるように、この3次元球面は4次元空間の中で埋め込むことが可能になります。要は4次元球体の表面が3次元球面になっていると考えるわけです。その意味で、3次元球面S^3の直径に当たる部分は当然、4次元の方向になります。
さて、3次元球面の話は以前、このシリーズの第19回目で行なった次元観察子ψ3の解説でも出てきたと思いますが、ψ3はモノから広がる空間における無限大方向の球面を一点に同一視したところに形作られた3次元球面でした。次元観察子ψ5の場合は、観測者から広がる空間における無限大方向の球面を一点に同一視したときに形作られる3次元球面ということになります。では、この二つの一体何がどう違うのかを調べていくことにしましょう。
実際の3次元球面を図にするのは不可能なので、『人神/アドバンストエディション』でも使用した図を使って、次元を一つ落とした形で比喩的にアナライズしながら考えていくことにします。
まず、原点Oを持つ3次元空間を平面(x、y、z)で表します(下図2参照)。
次に、この平面に垂直な方向を4次元方向と見立て、4次元方向にこの3次元平面を丸め、次元観察子ψ3のカタチを作ります。3次元平面上の無限遠が4次元軸上で無限遠点Sとして一点同一視され、3次元球面状のカタチを作っていることが分ります(下図3参照)。
次に、ここに次元観察子ψ4を付け加えてみます。次元観察子ψ4は以前の解説では3次元双曲面というカタチで表しましたが、ここでは話を分りやすくするためにψ3と同じ3次元球面とし、無限遠点の位置に白い穴を開けて表すことにします。これはψ4側ではモノから広がる空間の無限大方向が一点同一視されておらず、想像的な「後」方向の中で開きっぱなしになっているという意味を持たせています。このことは、ψ4ではψ3のように知覚が存在していないので「知覚=主体」とするための位置が生まれておらず、無限遠点が「主体」という差異の概念で埋められていないということを意味しています。一方のψ3が形作る3次元球面は無限遠点を黒い点で表しています。これは、ここに主体という差異の概念が収まっているという意味です(下図4参照)。
「次元観察子ψ3=人間の外面、次元観察子ψ4=人間の内面」というヌースの特異な概念が、この4次元から見た図では文字通り「面」として表されているのが分かります。次元観察子ψ3とψ4は3次元平面が互いに4次元の逆方向に丸められているために、それぞれの球面における表裏の関係が逆になっています。つまり、ヌース理論は3次元空間自体を「面」と呼べるような位置、つまり4次元の高みから3次元空間を見て、その表裏を区別するために「人間の内面」や「人間の外面」という言葉を用いているということです。——つづく
9月 19 2008
ヌースの貨幣論
掲示板の方で、goemonさんという方から「ヌース理論がお金や経済の意味をどう見ているか」という質問が寄せられた。ヌース理論が貨幣や資本主義について語るのは大分先の話になると思う。というのも、無意識の構造をある程度、幾何学的に説明した上でないと、何を語っているのかチンプンカンプンになってしまう恐れがあるからだ。とはいうものの、この問題は極めて大事な問題なので、goemonさんには、ヌース用語は一切なしで、その概要を簡単にレスしておいた。ここのところ観察子の話ばかりで頭が気持ち悪くなっている人は、気分転換に読んでみて下さい。こちらに転載しておきます。
goemonさん、こんにちは。
貨幣論ですか。。ヌースとしても、とても興味ある問題です。貨幣の位置づけを意識構造の中に見るには、ヌース理論的には次元観察子ψ11~ψ12における構造変動を事細かに分析する必要性があります。観察子で話すと例によってチンプンカンプンになってしまうでしょうから、大ざっぱなイメージで話すとおおよそ次のような感じですかね。ちょっと長くなるかもしれません。
経済は人間の欲望を原動力としていますよね。意識に内在しているこの「欲望」という力は、ヌース的に言えば「等化」の一形態と考えられます。アイツがアレを持っている。だからオレも欲しい。社会でアレは常識になっている。だからオレもアレにならなきゃいけない、etc。しかし、一度等化が起こると、精神は中和というプラマイゼロの状態を作り出し欲望を初期化してきます。あんなに輝いて見えていたものが一度手にしまった途端、一気に色褪せてしまうという経験は誰にでもありますね。しかし、そこでまた「負荷」が起こる。新たな対称性の破れです。欲望は新たな等化すべき対象を対化として見出し、それらを所有し、それらと同一化したい衝動に駆られ、性懲りもない等化の反復を繰り返す。。こうして、モノでもイメージでも、テクストでも、解釈でも、意味でも何でもよいのですが、欲望によって差異が無限に増殖していくことになります。生産です。企業が躍起になって商品の差別化や区別化を叫ぶのも、こうした差異の再生産が収益に大きく寄与するからにほかなりません。経済活動はこうした差異の再生産を前提として成立しているわけです。
現代人にとって、所有とはアイデンティティーの一端を担っている行為でもありますね。モノにせよ、イメージにせよ、言葉にせよ、それが所有されるところには必ずアイデンティティーが生まれる。文化と言い換えてもいい。現代人にとって所有や消費は一種の自己確認の作業であり、主体性を保持するための不可欠な行為となっています。しかし、そこにどんな主体性があるのかというと、差異は飽きたらまた別の差異にすり替えられていくだけですから、結局は主体の場所は空虚な空隙でしかない。所有力で人間の価値が決まるはずもないのに、なぜか多くを所有する者は力をも有しているようかの錯覚に陥る。モノに富める者、言葉に富める者、イメージに富める者、意味に富める者。どれも所有を力としている意味では似たり寄ったりで、それは権力としてしか働かない。そして、こうした一連の所有行為の保証人となっているのが貨幣なわけです。貨幣はモノにも言葉にもイメージにも意味にも容易に化けることができる。トランプで言えばジョーカーですね。つまり、オールマイティ。
となれば、主体が自己確認するために貨幣以上に重要なものはないということになってしまう。その意味で貨幣は現代人にアイデンティティーを付与する霊力そのものと言っていい。つまりコギトの本質力のようなものでしょうか。実際、経済活動において何が交換されようと、それがアイデンティティーを保持、強化するようにしか働かないならば、コギトはその空虚な空隙に居続けるしかなくなる。経済活動を活発化すればするほど人は孤独になっていくわけです。皮肉な言い方をすれば、すべてのコミュニケーションは自我の強化のためにしか働いていないということですね。根底には他者と一つになりたいという欲望が働いているのだけれども、この欲望が結局のところ、所有物の交換という裏返しの情念となって現れ、いつまでたってもグルグルと差異の増殖の中で実りの無い交換活動を続けて行く。。。それが人間の営んでいる経済という生き物の本質のような気がします。
いずれ、ヌースではこうした欲望の機構を幾何学的に事細かに説明していくことになると思いますが、ヌース全体の文脈から言えば、この機構はいつまでもこの実りのない反復運動を続けるようにはできてはいません。やがて本当の経済をもたらす機構に反転します。この転倒した機構が反転さえすれば、人間の欲望は純化し、今度は主体自体の交換という本来の経済活動に変わっていくはずです。今度は人間がモノを交換するのではなく、モノが人間を交換していく回路が開いてくるわけです。ヌース理論の構築はその準備活動です。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: 言葉, 貨幣, 資本主義