9月 2 2016
ヌースアトリウムIN東京&大阪—— 「素粒子と人間の意識構造は同型対応している」
今月11日と24日は東京と大阪でヌースアトリウムを開催する。8〜9月はヌース物理学月間と称して、ヌーソロジーと量子力学の関係について、今までより一歩突っ込んだところで議論を深めていければと思ってる。ゲストは砂子氏と佐藤氏。共に量子力学の世界を人間の意識構造と見て研究を続けている専門の研究家だ。
3人揃うのは初めてなので、どんな会になるか楽しみにしている。あと、専門家の目から見て、ヌーソロジーの量子力学解釈がどこまで通用するのかを吟味するのも楽しみだ。こちらが話すテーマはまずは量子力学の公理系となっているヒルベルト空間のイメージについて。
ヒルベルト空間というのは無限次元のベクトル空間のようなものだけど、量子の表現形式である波動関数Ψの背景にはこのヒルベルト空間の数理構造がで~んと横たわっている。規格直交性、完備性とかいろいろと面倒な数学的定義があるのだけど、この空間の描像を持てている物理学者などいない。要は”単なる”数学的形式として片付けられている。しかも、かなり恣意的に。
ネットで調べてみると分かるけど、出てくるのは数式ばかりで、素人には宇宙語にしか見えない(笑)。そこで行なわれている解説もほとんどが天下り的なものが多くて、とても親切な説明とは言えない。イメージが欠如しているのだ。
このイメージの欠落はもちろんいつも言っているように複素空間というもの自体のイメージ不能性に由来している。量子力学の世界は複素数で記述される世界にも関わらず、そこでは複素数は単なる計算の手段でしかなくなっている。
ヌーソロジーでは複素空間は描像可能なものとして考える。いつも言っているように虚軸は奥行き、実軸は幅だ。そして、虚軸は持続の機能を持ち、実軸は想像の機能を持つと考える。だから、複素空間について思考するときは時間と空間をエポケーしなくてはならない。スピノザ風に言うなら永遠の相の下で考える、ということだ。
この仮定をもとにヒルベルト空間を見ると一体どういうものに見えるのか、今回はそういう話をしたいと思っている。針金細工のような量子力学の世界にヌース(能動知性)の息(プネウマ)が吹きかけられていく様子が参加者にもきっと感じ取ってもらえるのではないかと思ってる——ヒルベルト空間とはわたし自身の記憶の容器にほかならない。。
物理学嫌いの人も是非、おいで下さい。語られるのは人間の意識についての話です。
ヌースアトリウム2016 IN 東京&大阪 詳細・申込
9月 7 2016
Are you ready?
人間の身体は存在論的反転の蝶番の位置に生成してきている。これは無限大と無限小の結節点に等しい。人が身体を自己中心化の位置として見ているときは、身体は巨人族の一員である。ここには時間の神が宿り、人は言語的動物と化し、俯瞰者として宇宙を我が物へと所有したい欲求に駆られる。
科学の目、政治の目、経済の目、これらはすべて巨人の目のバリエーションと考えていい。すべては一神教的精神の産物だということ。
しかし、同時にこの巨人は自分の奥底に潜む小人性に恋い焦がれてもいる。この小人性が女神アフロディーテだと考えるといい。ここには金星的美、つまりは黄金比が立ち上げる螺旋状の生成力が息づいている。人が経験する共感を通した喜びの感情はすべて、この螺旋力の反響としてもたらされている。
巨人が自力でこの小人の身体へと身を翻すことは不可能だ。巨人を巨人たらしめた者が背後にいることを忘れてはいけない。ユダヤ-キリスト教者が一心に待ち続けている「救済」とは、その意味で言うなら、彼らが神と呼ぶところのものにおける回心なのだ。唯一そのことに気づいていたカバラはこの回心をツィムツーム(収縮)と呼ぶ。
古代キリスト教においてキリストがヴェシカ・パイセスで表現されたのも、この互いに互いの中心を交差する二つの円が神の回心の身振りを象徴しているからにほかならない。
さぁ~て、諸君。
反転の準備はできているか?
もう一度、聞く。
反転の準備はできているか?
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: ツィムツーム