5月 9 2018
ヌース映画本、ようやく大詰め
ヌース映画本。大詰めのところで苦闘中。ヒットした映画をネタにサラっと仕上げるつもりだったのだが、そんな甘い世界ではなかった(笑)。ヌース用語一切ナシ。物理学もほとんどナシ。将棋で言うなら飛車角抜きでの戦い。自分の力量の無さを痛感。果たして、どこまで伝わるのか・・・。
形式は、不思議ネットのライターマキシムさんによるインタビュー形式。心理学専攻の星乃さんと僕との受け答えの中で話が進んでいくので、必然的に、話はフロイト、ラカン、ユング等の精神分析を通した自我論が中心で、現代の若者の心理分析なんかも取り上げています。
ピックアップした作品は「君の名は。」(不思議ネットの記事がそのまま載ります)、「エヴァンゲリオン劇場版」「ロードオブザリング」「マトリックス」「2001年宇宙の旅」という豪華ラインナップ。
これらの作品の分析と平行させながらヌーソロジー的世界観を解説していくという、かなり難易度の高い作業でしたが、今までのヌーソロジー本にしては珍しく、比較的読みやすい、楽しい一冊になるのではないかと思います。





5月 29 2018
沈黙の響きを震わせるカタチの世界へ
ヌーソロジーの分かりにくさは「あるもの=客体」や「いるもの=主体」で世界を考えないというところにある。じゃあ、何を通して世界について思考しようというのか。それは―「なるもの」を通して―ということになるだろう。
「あるもの」とは結果の世界。「いるもの」とは「あるもの」がその原因へと方向づけられたところに生まれるもの。「なるもの」とは原因の世界。そして、この「なるもの」から「あらしめるもの」と「いらしめるもの」が生じ、それらの働きによって、「あるもの」と「いるもの」が送り出されてくる。
空間的に言うなら、「あるもの」とは幅の世界。「いるもの」とは幅化した奥行きの世界。「なるもの」とは幅を拭い去った純粋な奥行きの世界。奥行きは自然が精神化していくためのポータル(入口)である。カッコ悪い写真だが、気持ちは伝わるだろう(笑)
「なること」としての奥行きは、散乱した光を拾い集めていく。この光の回収作業によって言葉は砕け散る。ハイデガーが言うように、与えられた言葉を沈黙の中に砕け散らせること。そこに、「なること」としての別の生き物が立ち現れる。そうやって、空間にカタチが生まれ出る。
このカタチについては、思想史の中で実体形相や共通本性など、いろいろな言われ方をしてきた。いずれにせよ、空間が精神化するときには、時間は結晶化しなければならない。
※下写真はそれぞれ覚醒期”レムリア”シンポジウム 『記憶』でのショット。参加者の天海ヒロ氏と稲田明子さんによる撮影です。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ハイデガー