6月 23 2017
外部に反転を見るとはどういうことか
観測者の周囲にはいわゆる時空が広がっています。ここで観測者の位置を観点a、対象化される時空上の位置を「見られる点」という意味で「視点n」と呼ぶことにしましょう。このとき一つの観点の周囲に無数の視点が散在していることになります。これがわたしたちの外部世界に対する通常の捉え方です。→下図上
反転認識とはこの構図が下図下のように変わることをいいます。僕がいつも「観点の球面化」と呼んでいるものですね。
反転認識が形作られることによって、視点nの位置はすべて視点Sで統一されることが分かります。本当は、こうした認識が「健全な空間認識」というものなんですが、今の世界ではそれが忘れ去られている。
反転を単に延長空間の中でイメージしても意味を持ちません。空間認識の反転とは、延長的な空間認識から持続的な空間認識へと認識の形態を変えることなのです。ですから、これは「時間の空間化」と言っていいでしょう。そこでは、時間は流れを止めて、持続空間として空間化してきます。下右図における点Sはそのときに感覚化されてくる持続中心を意味しています。
反転感覚が目覚めてくると、目の前に何らかの対象を見るとき、そこには反転した持続空間が常に重なり合っていることが意識化されてきます。
このことは、そこに抱かれている無数の記憶も同時に一緒に知覚化されてくることを意味しています。このことは誰にも否定できませんよね。
一人暮らしのワンルームマンションの中。彼女からプレゼントされたコーヒーカップがぽつんと食器棚の中に入ってる。そこから、追憶されていくあの幸せだった日々………くそっ!!こんなもの叩き割ったるわい!! うぅ、でもでけへん。。。なんてことになってくる(笑)
目の前のコーヒーカップですら、その人の人生の全記憶を伴ってそこにある、ということなんですね。プルーストの世界です。
反転のカタチが理解できたら、まずは、そういう感覚を養っていくことが重要です。そうすれば、局所=非局所の本当の意味が、明確な輪郭のもとに実感として湧き上がってくることでしょう。
ちなみに、下図下で示した反転円(の回転)は物理学の言葉に直すと、物質粒子ψの局所的U(1)変換(複素平面上の回転)という表現になります。その反映として元の円を見た場合、その回転は電磁場のU(1)変換です。
実際に存在しているにもかかわらず、未だカタチになりきれていないわたしたちの持続のカタチに明確な輪郭を与え、永遠世界を確かな地図をもとに、見えるものへと彫塑していくこと。それがヌーソロジーがいうトランスフォーマーの作業ということになります。
ヌーソロジーの言葉では左の円の領域を次元観察子ψ5、右の円の領域を次元観察子ψ6、と言います。人間の自我の構造を少なくとも空間的に理解するためには、ψ13~14までの観察子が必要になります。それが素粒子のシステムの全体性と一致するというのが、目下のところの予想です。
ψ6は自己中心化した想像的自我の拠点です。自我構造が見えてくることによって、少なくともこの強固な拠点は脱中心化していき、主体は対象世界の内部に新しい拠点を形作り始めます。そこは作られたものと作るものが一致した世界、つまり、存在者と存在の区別がない世界です。
こうした認識の創造作業に興味がある方は是非、ヌーソロジーで遊んでください。面白いですよ。
ただし、社会的現実はしっかり押さえた上で、というのが絶対条件です。それができていない人は立ち入り禁止区域です(笑)。
6月 26 2017
原子力時代に止めを刺そう!!
素粒子と時空の関係を比喩として表現するとこんな感じ(下写真上)。直線の上を転がっていると見ているのが外延としての物質意識(時空並進)。直線を巻き込んでいると見るのが内包としての持続意識。前者は動くけど、後者は不動。巻尺中心から転がりを見たときが波動。そんな感じだね。
波動関数ψを位置や時間で微分するというのは、円の中のグルグル巻きをこうして直線として引っ張り出すという意味。回転の角度を直線的空間や直線的時間に翻訳するということだね。
ちなみに位置xで微分すると運動量pxというのが出てきて、時間tで微分するとエネルギーEというのが出てくる。空間をどれだけ進んだか、時間がどれだけ進んだか、ということ。
このイメージからすると、目の前で流れていくように感じられている時間は本当は自分の周囲にグルグルと巻きついている。そして、その巻きつき円を昨日の話のように反転させると、時間は目の前の一点で停止し、そこにすべての時間が固定されてある、というイメージが生まれてくる。それが持続中心。
モナド(精神実体)としての原点だよ。
これは、過去が実在として保存されている場所の原点と言っていいね。それが物質粒子(おそらくuクォーク、上次元ではニュートリノ)の本性。
この対応からすれば、時間が自分の周りをグルグル取り巻いている円の方がdクォーク(上次元では電子)ということになるね。
こうした関係が見えていないとき、つまり、時空認識が先行しているときは自分を取り巻いている円は電磁場(電磁ポテンシャル)になっている。
そして、この電磁ポテンシャルが目の前の瞬間と持続中心を一致させようと常に働いている。移りゆく瞬間と永遠を常に繋ぎ合せようとしているんだね。
つまり、記憶は光が運んでいると言えるのかもしれない。局所と非局所をつなぐ橋になっているんだね。それが物理学として表現されたものが局所的U(1)ゲージ変換というやつだと思う。モナドの回転(時空並進)が常に現在でも感じ取られるようにしている機構。
で、精神はそこから他者の知覚領域、自己と他者のそれが合一した領域、そして、自己や他者というものを本来成り立たせている領域へと持続の軸を増やしていく。それがSU(2)→SU(3)→SU(4)というように複素空間の回転次元を上げていく様子として表現されている。でも、同時に、それらは必ず瞬間としての現在と応答し合っている。
これが物理学が局所的ゲージ対称性と呼んでいるものの本質だと考えてる。ここまで話せば、素粒子が無意識の構造というのが、それほどトンデモ話とは聞こえなくなってきたんじゃなかろうか。物理学がこっちの方向に向かえば、僕らの宇宙観はあっという間に内在方向に移動を開始するんだけどね。
数学的裏付けがまだまだ不十分なので、頑張って勉強しなくちゃいけないけど、素粒子とは何かという究極の設問は、いずれにしろ、素粒子とは誰か、という設問に変わっていくと思うよ。そうなったとき、ようやく原子力時代は「なんじゃ、こりゃあ~!!?」と言って、断末魔の雄叫びを上げながら息絶え、物質は我に帰ることができる。
※下写真下は川瀬氏の作品です。ここ最近で一番笑った写真(笑)
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), クォーク, モナド, 波動関数, 素粒子