十牛図の「返本還源(へんぽんげんげん)」と「入テン垂手(にってんすいしゅ)」

持続としての奥行きは延長としての幅に存在論的に先行する。奥行きは時空に穿たれた不可視の穴である。僕にしろ、君にしろ、実のところ全員がこの穴の住人であり、この穴の群れはその内部で巨大な蟻塚のようにして宙空構造を形作り、それがめくれ上がってくるとき、幅とともに光を吐き出すのだ。
  
光を受け取るのではなく、光を放つ側へと回り込むイメージを持つこと。それによって、私たちは物側へと立ち、自分を示すものを、それがそれ自身の方から現れてくる通りに、それ自身の方から見ることができるようになってくる(ヌーソロジーでいう思形=ψ9の顕在化のイメージ)。
  
ヌースでいう思形=ψ9の顕在化とは、十牛図に描かれている第九の境位としての「返本還源(へんぽんげんげん)」のイメージに近い。すなわち「本に返り、源に還る」ということだ。文字通り、自らを然らしむ、真の自己における自然の在り方ということになるだろう。(下図上参照)
  
OCOT情報ではこの思形=ψ9のことを「平形投影(ヘイケイトウエイ)」と呼んでいる。平形とは言うものの、これは光とともに発出する3次元空間のことだ。そこに投影されてくるものとは自他の最初の結びとしての精神。それを空間に投影してくるものとはΨ9の時間自身である。
  
水面から立ち上がる光………例のアクアフラットの幾何学がこの「返本還源(へんぽんげんげん)」を成り立たせていることになる。
  
思形=ψ9が第九の境位の「返本還源(へんぽんげんげん)」のイメージなら、自ずと第十の境位の「入テン垂手(にってんすいしゅ)」は感性=ψ10に対応することになる。(下図下参照)
 
第一の境位の始まりに戻るということだ。そこには、真の自己によるかつての自己(始まりの自己)との出会いの場が存在している。真の自己が自分自身を物質と出現させ(思形=ψ9)、それを見たものが再び、真の自己へと戻ろうと欲する(感性=ψ10)その円環。
  
これらψ9とψ10の「間」に当たる場所が、ヌーソロジーで元止揚空間(ψ7~8)と呼ばれる領域であり、物理学的には、この場所が物質を生成する基礎的な場所となっている。→核子(陽子と中性子)