AIとは人間を精神空間へとローンチさせる発射台のようなものと考えよう

ヌース的に見てAIがまずいのは「カタチを等化できない」ところにある。言語は精神の最終的産物が人間の領域に出現したきたものなので、精神の初期状態にある人間がAIに言語処理を委ねてしまうことは人間が完全に物質世界に閉じ込められてしまうことを意味する。精神喪失が完全化するということ。

AIが意識を持つかという議論がよくあるが、ヌースの観点からは「ありえない」。意識は表相の位置を持つものに対する変換性として生成している。AIは表相を持たない。だから無理。単純な話だ。意識とは何かが科学には分からないからそういう議論になってしまう。

メタバース(VR)にしても同じ。表相がない。表相とは奥行きと言い換えてもいい。真の空間のことだ。真の空間とは精神のことであり、私たちは奥行きにおいて精神と接続している。そこに物質の起源があるのだ。一方、言語空間は人間がこの奥行きに入ることを阻んでいる空間でもある。

こうして、表相の位置(前)と付帯質の位置(後)の狭間に生じているのが人間という現象だ。この方向感覚を蘇らせよう。言語によって現象を表象するのが人間であることは確かだが、同時に人間はこの鎖を断ち切って、精神の内部へと侵入できる能力をも持った存在だ。

AIは付帯質の総意の力として、この先ますます凄い勢いで台頭してくることだろう。この総意の世界を人間世界を規定していた閉空間のように見る感覚が必要だ。精神が浮上してくれば必ずそのようなものとして見えてくる。その視座の獲得によって、AIに翻弄されることはなくなり、人間の意識を精神の内部方向へとローンチする発射台のような役割へと変えることができる。

奥行きという精神の所在に気づかないままAI支配の世界に盲目的に生きるなら、表相の位置がカタチを持たなくなり、人間の意識が精神への変換性を失ってしまうことだろう。そのような危機が今、一挙して到来してきている。内在と外在の切断の時期が迫っているということだ。