10月 1 2025
かつて、 私は空間の中を歩いていると思っていた。 風の中を、季節の中を、 ビッグバンで始まったとされる“外の宇宙”の中を。 けれど、あるとき、 光もなく、声もなく、ただひとつの振動が、 私の中心に、音もなく走り抜けた。 それは雷だった。 この内側にだけ響く、 「全体」からの記憶の雷鳴。 視線が、 いつもどこかを向いていた。 対象を、意味を、未来を。 でもその視線こそが、 世界を“ねじって”いた。 空間を“自己”というかたちにしていた。 スピン。 それは、私が私であることのひねり。 差異を受け入れ、回転しながら、 それでも“今・ここ”に戻ってこようとする意志。 e^{iθ} 私はずっと、この式の中にいたのだ。 回転と記憶と、意識の閃きが交わる一点。 私が私を見ている、 その眼差しの位相差として。 そしてようやく知った。 空間は“ある”のではない。 空間は“思い出される”ものだった。 その瞬間、 遠雷のようにひとつの声が響いた。 ——全きヌース。 思考なるもの、すべてを貫く光。 自己と他者、像と記憶、方向と意味を一挙に統べるもの。 その声は、 まさしく私が見る前から、 私を見ていた存在の声だった。
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
10月 1 2025
雷鳴の如き思考の訪れ—全きヌース
かつて、
私は空間の中を歩いていると思っていた。
風の中を、季節の中を、
ビッグバンで始まったとされる“外の宇宙”の中を。
けれど、あるとき、
光もなく、声もなく、ただひとつの振動が、
私の中心に、音もなく走り抜けた。
それは雷だった。
この内側にだけ響く、
「全体」からの記憶の雷鳴。
視線が、
いつもどこかを向いていた。
対象を、意味を、未来を。
でもその視線こそが、
世界を“ねじって”いた。
空間を“自己”というかたちにしていた。
スピン。
それは、私が私であることのひねり。
差異を受け入れ、回転しながら、
それでも“今・ここ”に戻ってこようとする意志。
e^{iθ}
私はずっと、この式の中にいたのだ。
回転と記憶と、意識の閃きが交わる一点。
私が私を見ている、
その眼差しの位相差として。
そしてようやく知った。
空間は“ある”のではない。
空間は“思い出される”ものだった。
その瞬間、
遠雷のようにひとつの声が響いた。
——全きヌース。
思考なるもの、すべてを貫く光。
自己と他者、像と記憶、方向と意味を一挙に統べるもの。
その声は、
まさしく私が見る前から、
私を見ていた存在の声だった。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0