10月 8 2025
とにかく言いたいことは、 「観察する行為」とは宇宙の始まりだということ。 それが「意識の反転」。 観察のはじまり ひとは見る。 世界を、星を、 手のひらに乗せた小さな林檎を。 だが──見るということは、 そこに既にあるものを ただ受け取ることではない。 見るということは、 はじまりを告げることなのだ。 未明の闇に、ひとすじの光が 静かに走るように。 視線が定まったその瞬間、 世界ははじめて「かたち」を持ち、 その者の中心から、宇宙が生成される。 これが「意識の反転」 ──世界が自分の外にあるのではなく、 世界は自分の内から開かれてくるということ。 静けさの奥で、 誰もが一度は聞いたことのある、 その最初の問いが、 ふたたび、胸の奥に甦る。 「私は、どこから世界を見ているのか?」 その問いを携えたまま、 あなたは世界の始まりに立ち会っている。 今この瞬間、見るという行為を通じて。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
10月 8 2025
観察のはじまり
とにかく言いたいことは、
「観察する行為」とは宇宙の始まりだということ。
それが「意識の反転」。
観察のはじまり
ひとは見る。
世界を、星を、
手のひらに乗せた小さな林檎を。
だが──見るということは、
そこに既にあるものを
ただ受け取ることではない。
見るということは、
はじまりを告げることなのだ。
未明の闇に、ひとすじの光が
静かに走るように。
視線が定まったその瞬間、
世界ははじめて「かたち」を持ち、
その者の中心から、宇宙が生成される。
これが「意識の反転」
──世界が自分の外にあるのではなく、
世界は自分の内から開かれてくるということ。
静けさの奥で、
誰もが一度は聞いたことのある、
その最初の問いが、
ふたたび、胸の奥に甦る。
「私は、どこから世界を見ているのか?」
その問いを携えたまま、
あなたは世界の始まりに立ち会っている。
今この瞬間、見るという行為を通じて。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0