禁煙1年に処す

 不覚にも先週末のすき焼きパーティーが祟り今季2度目のダウン。つい先日のダメージがまだ残っていたせいもあったのだろう。連夜の夜更かしと、真夜中のすき焼きとビール、さらには1夜3箱のタバコは、潰瘍の古傷を直撃したようだ。丸4日間ものが食べられなくなってしまった。油断と慢心が故に、また周囲の人々に迷惑をかけてしまった。心から陳謝。申し訳ない。

 しかし、今回のこの体調不良、ちょうど最近「長年の喫煙による人体への悪影響が禁煙後2週間で浄化される」というレポート記事がニュースで取り上げられていたので、それをいいことに、14日間喫煙して14日間禁煙するという安直な喫煙生活を送ろうと考えていた矢先に襲ったものだった。

 いきなり、甘ーい!と健康の神から天罰が下った感じだ。そこで今回はちょっびり反省。自分の身体があまりにももろく崩れさっていくのを目の当たりにし、とりあえず禁煙1年の厳罰に処す、ことに決定した。禁煙1年とは何とも情けないスローガンのように見えるかもしれないが、禁煙宣言など絶対にしない、と思っていた過去のわたしからすれば、これでも多少の進歩ではあろう。タバコを吸われたことのない読者の中には、半田って、4次元とか、意識進化だか言ってる割に、ほんとうにお馬鹿なやつ、タバコも止められんとは。と思われている方もいることだろう。それは、確かに、正しい(;;)。

 しかし、たかだか健康のためにタバコを犠牲にしてたまるか、という思いが常に心のどこかに残っている自分を感じるのだ。こうした自分がいる限り、間違っても、一生禁煙します、などといった虚偽の誓いは立てられない。わたしにとって禁煙宣言は自我の死滅に近い事件でもあるのだ。ひょっとすると、わたしは健康の神を信じていないのかもしれない。

 おいおい何を遠慮している。自分の職業が健康産業に関わっているからこそ、ここは本音でトークすべきところじゃないか。この際はっきり言った方がいい。——。多少の不健康さは、魂の健康を維持するためにも必要な要素である。不健康なしの健康などあり得ない。時代がうわべだけの健康ファシストを増殖させているだけに、喫煙はわたしなりのレジスタンスなのだ。とでも言っておこう。。