鉄の音楽

B000929AJQ久々にロックのアルバムを購入。ナイン・インチ・ネイルズの「With Teeth」というアルバムだ。前に買ったのがレディオヘッドの「Hail To The Theif」というアルバムだったので、実にCD購入は2年ぶりの珍事ということになる。

【1】トレント・レズナーのサウンドはメタリックなギターサウンドやハードコアなビートが売りになっているようだが、サウンドの重量感に対して曲作りの構成はとても繊細で明快だ。アンサンブルを聞けばすぐに分かるが、徹底的に考え抜かれた贅肉抜きの音作りをしている。かつてのプログレの雄、ツェッペリンやクリムゾンやイエスなどは別として、ロックの優れた楽曲というのは、コピーするのはさほど難しくない。つまり、各パートはあまり大したことはやっていないのだ。しかし、ドラム、ベース、ギター、ボーカルというようにそれぞれの音が重なり合ってくると、4倍どころか無限大にそのサウンド世界は広がっていく。これはシンプルでカッコいい音楽の絶対的な要素である。トレント・レズナーの音楽もそこが実にしっかりと押さえられているから素晴らしい。だから、やたらに音色だけ真似てもレズナーサウンドは生まれない。残念ながら。。そこに要求されるのは、リフのセンス、ビートのセンス、そして、歌詞を含めたアンサンブルのセンスなのだ。

【2】技術論的なことはさておいて、彼のサウンドのカッコよさのバックグラウンドには、ブリティシュ・メーンストリームの魂がしっかりと息づいているような気がする。今回のアルバムで言えば、一曲目「All The Love In The World」のピアノの匂いは、まるでWhoの「Who are you 」だし、シングルカットされた「The Hand That Feeds」のイントロのリフは、ほとんどKinksの「You Really Got Me」の乗りだ。WhoやKinksに共通するのは、「不良のダンディズム」である。それは、もちろん、ビートルズやストーンズにもあったものだ。不良と言っても、グリースの匂いをまき散らしながら、キャデラックのオープンカーで通りを突っ走るアメリカン・ロックン・ロールのチンピラたちのことではない。もちろん、こうしたティーンズ・ロックンロールがなければブリティッシュ・ロックも生まれなかったわけだが、60年代後半に向けて花開いたあのアバンギャルドなロックカルチャーは、ロックンロールの精神というよりも、あのケルトの深い森の神秘性が多大な影響を与えている。レズナーはもちろんアメリカ人だが、彼からはミスタードーナツの匂いも、ジェームス・ディーンの匂いもしない。

【3】良質の哲学や思想が常に古代の呪いから解き放たれていないように、良質のロックには常に60年代の呪縛がかかっている。それは、彼がシャロン・テート事件がおきた館をスタジオとして買い取ったことからも十分に想像できる。モダニティが解体を露にしたあの時代、ビートルズが「ヘルター・スケルター」を歌い、チャールズ・マンソンがそれに触発され猟奇殺人を犯す。ビートルズに凄まじい劣等感を抱いていたビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン。その彼と親交があったチャールズ・マンソン。彼らの意識がどう絡み合ったかは分からない。ただ言えることは、そこに生きるすべての人名、地名、曲名、事件名といった種々の記号が、まさに乱数表のようなつながりを持ちながら、時代の中のあらゆる出来事が動いているということだ。無関係なものなど一切、存在しない。すべてが一つであるが故に。この出来事の盲目的な増殖、成長はそれこそリゾーム状の組織を形成しながら、日の当たるところにも向かえば、より地中深くへも潜行する。閉鎖した時代の壁の爆破を常に試みるロックという野生の生き物。そして、その生き物の雄叫びを実際の社会的暴力へといとも簡単に転化せてしまう仄暗い狂気。希望へのベクトルは絶えず絶望へのベクトルを生産し、すべてが何も無かったかのようにリセットされる。ナッシング、そう、レズナーがレーベル名に掲げているように、世界はまさにいい意味でも悪い意味でもナッシングなのだ。この二つのナッシングに挟まれて、わたしたちの魂は夥しい血を流す。ひねり潰される心臓。この血を好む生き物がいる。この発狂ギリギリの苦痛を糧とする生き物がいる。そうした生き物と真正面から向かい合うタフさがレズナーの音楽には感じられる。鉄の音楽。赤く錆びれた鉄。灼熱に溶け出す鉄。人体を切り裂く鉄。頭蓋骨をたたき割る鉄。巨大なビル群を支える鉄。そして、何よりも、われわれをいまだに狭苦しい空間に磔ているナインインチネイルズの鉄………。カン、カン、カン、カン……。世界は今だにゴルゴダの丘である。恒星を破裂させる音楽が欲しいのはわたしだけか?。