人間は星だ!!

Imagesヌース理論もそろそろ星について具体的に語り出すときが来ているようだ。ヌース理論は非常識な主張のオンパレードなので、科学的な常識に偏りがちな人たちからはまず「トンデモ」の烙印を押される。ミクロ世界を構成している量子については理系の人以外ほとんどの人が馴染み薄なので、ヌースが量子構造は無意識の構造だ!!と吠えても、ふ~ん、そういうこともあるかもね。という反応で済むのだが、マクロ世界となるとなかなかそうはいかない。「宇宙には太陽系しか存在しない!!」「恒星とは人間の個体の魂が放つ光だ」と言うと、精神世界系の人たちの中にさえも、とたんに「え~っ??」と訝しがる人や、「この人危ないわ、あわわ」と言って引いてしまう人がほとんど。。。まあ、現代人の常識とは全く合致しないことを言ってるのだから仕方ないか(^^)。

 宇宙には太陽系しか存在しない――現代の科学的宇宙観から見れば、一笑に付されて無視される物言いだということは僕自身も十分に分かっている。じゃあなんでこんな暴言を吐いているかというと、一つは確信犯的にトリックスターになってやるわいな、という自己決定もあるが、本当のところは、空間はそんなに単純なもんじゃないよ、ということが言いたいからなのだ。実際、ミクロの極微空間においては僕らの通常の空間感覚では捉えられないような空間領域に入ることを今の科学は知っている。量子論がすでにそれを発見しているからだ。ただマクロの巨視的空間においてはその差異を主張する人は今のところほとんど誰もいない。

 ヌースがマクロ宇宙に対して突拍子もないことを主張しているのは、観測者自身の観察空間をも含めて空間の構造を考察して行くと、今の科学的認識のように単に平板的に3次元の延長概念を宇宙に拡大していくことは大きな間違いだということが分かってくるからだ。ニーチェやフッサールではないが、僕らは「大地の意義」や「不動の大地」として人間存在を考え直さなくてはならない。人間が地球という天体上の表面上にへばりついて生息している意味、それも世界を認識するという意識の能力を持って球面状にへばりついているという意味、そしてその大地自身が宇宙空間に対して自転しているという意味、さらにはまたそれが太陽の周囲をも公転しているという意味etc………。

 天体はむやみやたらに単なる物理的な惰性力で回転しているわけではない。ヌース的に言えば、回転とは空間に内蔵された精神構造の幾何学的顕現である。早い話、回転に対する想像力がなければ3次元空間だって僕らは認識することはできないのだ。

『人神』にも書いたが、現代の宗教や哲学は科学にちょっと媚びすぎちゃいないだろうか。宗教や哲学の主張を突き詰めて行けば、現代科学の物質中心の宇宙観や人間観を受け入れるのはちょっと無理な話だ。今の産業や経済に貢献する技術的な実学という意味であれば、科学は全く文句のつけようのないほど体系化され精緻化された素晴らしい学問だが、こと宇宙の誕生や進化、さらには人間の起源という存在に関する全包括的な問題に関しては、科学的知見だけで結論を下してしまうのはそれこそ「トンデモ」だ。しかし、悲しいかな哲学者や宗教家と科学者が真っ向から建設的な議論をし合う場は、今の学の世界にはほとんどなくなってしまった。それが学というものの本来の在り方であるはずなのに。。。

 科学が少年性から脱することが必要だ。現在の科学は残念ながら女を孕ませる能力に欠けている。つまり、概念/conceptionがないのだ。平板的な3次元空間の中の同一性だけで事象を数量的に分析したところで、宇宙の本質は決して分からない。お姫様をお城の地下牢に閉じ込めておく悪者役を科学はそろそろ卒業してもいい頃ではないだろうか。白馬の王子となってお姫様の救出に向かう力を実は科学は潜在的に持っている。早く、成熟した美男子となって、あの月光美人と太陽の中でベッドインしようぜ。