元素は霊だ

元素を空疎なエネルギーの粒のようにイメージするのはやめよう。元素は霊だ。世界は元素でできているというより、世界は元素たちが演出している劇場のようなものだ。言葉も、色彩も、音色も、香りも、すべてが元素の外にあるものではなく、元素たちの内部で展開されているものであり、夢さえもその例外じゃない。
 
人間が犯している最大の誤謬は、観察がモノの外部で行われていると考えていること。観察が行われている場所はモノの内部だ。そろそろ、そのことに気づいてもいいころじゃないかと思う。
 
知覚は二つのアスペクトを持っている。一つは幅化した奥行におけるアスペクトであり、ここには見慣れた表象があり、それを見つめている主体がいる。。もう一つは純粋な奥行きとしてのアスペクトであり、こちらは対象を持たない。ここに息づいているのが「客体なき主体」である。
 
「観察が行われている場所はモノの外部ではなくモノの内部だ」と言ったけど、この「客体なき主体」は純粋な持続体としてモノの内部に息づいている。モノの外部にいる方の主体は、こう言っちゃなんだけど、ハリボテのようなもの。
 
この「客体なき主体」は双子で生きている。物理学者たちはこの双子性を右巻きスピンとか左巻きスピンとか色気がない名称で呼ぶのだけど、この双子はもはや見られるものではないのだから、対象化しちゃいけない。さっきも言ったけど、これはハリボテとしての主体を支えている純粋な持続体なんだよね。
 
グノーシス者たちがよく口にする「地上を天上に変える」というのは、この双子たちが息づいている空間を、このハリボテの世界に重ね合わせてみる視力を回復させるということだと強く感じてる。そうすると、空間は空虚なものではなく、濃密な、ほんと濃密な語らいの場になると思うよ。
 
こうして浮上してきた内部による織物として物質を思考していくこと。そうすれば、ハリボテではないほんとうの世界が現れてくるということだね。ほんと、もう一息。

二つのアスペクト