地球と月の密約

ヌーソロジーの基本中の基本の概念に「円心」という概念がある(下図参照)。これは簡単に言えば「円の中心と円周は入れ替えが可能」という概念だ。早い話、意識の反転を象徴したカタチと考えるといい。
 
二つの円が交差したところにできる部分は、原始キリスト教では「ヴェシカパイシス(魚の浮き袋)」と呼ばれ、キリストが宿るところとされていたらしい。「魚」は人間の霊性の象徴でもあったから、それが、このカタチの力によって水の中から浮き上がってくる、ということなんだろうね。
 
円心はシュタイナー的にいうなら物質空間とエーテル空間(物質空間が反転したもの)の関係を最もシンプルに形象化した図形と言える。
 
交差する部分(ヴェシカパイシス)の意味は円心関係が等化されることの意味を表していると考えるといいと思うよ。認識がS側にもa側にも偏らず、両者の対称性を持つことができている意識のカタチの意味だね。
 
ヌーソロジーの思考は約25年前にこの円心からスタートを切ったんだよね。
 
今、対象の位置をS、自分の身体の位置をaとして、この円心関係を見てみよう(下図参照)。おそらく、誰もが簡単にこの円心のイメージを作れるに違いない。しかし、「もし簡単にイメージできたとするなら」、おそらく、君の円心概念は大きな誤りを犯している。。
 
点Sに無数の対象が重なって見えているかい?
 
というのも、点aから見た円周上には無数の対象が見えているはずだから、その円周が中心点化した点Sにおいては無数の対象が重畳して存在してないといけない。そう見えたとき、君はキリストの何たるかが分かってくるはずだよ。
 
ちなみに、ヌーソロジーでは円S(左側の円)を「位置の等化」、円a(右側の円)を「位置の中和」と呼んでる。中和側が人間の意識なので、円aはすぐにイメージできるのだけど、円Sは等化側なので無意識化しているんだよね。だから、それを浮上させるのが難しい。。
 
それが浮上してくると、今まで物質と呼ばれていた対象は「もの」へと変身するよ。古代の日本人たちが感じ取っていた「もの」。月に向かって「もの」思いに耽って、「もの」悲しい表情をしていた、あのかぐや姫の「もの」語りを思い出そう。
 
自分の身体の自転が同時に対象の周りの公転に見えたとき、ほんとうの「もの」が浮上してくる。ラカンでいうなら、これがS=エス(無意識の主体)の位置だね。aは想像的自我の位置と考えていいかな。
 
この円心関係がダイレクトに物質世界に投影されているのが、地球に対する月の自転と公転と考えるといいよ。「次元が構成されている」ということ。
 
地球がS、月がaだね。月は自らの自転と公転を等化しているということ。つまり、エス(無意識の主体)を知っている。
 
もちろん、この関係は、今度は太陽系へと展開されていくのだけど。。
 
天体たちは、ただ、むやみやたらに土塊として回っているんじゃないよ。それらの本質は僕ら人間の内在性の中にある精神の次元の連動性を表現しているんだ。もうすぐ、それが見えてくるよ。「もの」の時代がやってくる。。

円心という概念