元素に対する感受性を変えること

「ウラン」がもし「光」や「爆弾(立方体)」ではなく冷たすぎて深く重い「涙の音のような感じ方(△20個)」だったとしたら? ひょっとしたら誰も原発や爆弾にしようと思わなかったかもしれません。―mononokenosiori 2012.7.1
 
7歳(当時)の子供の方が物理学者よりもはるかに物質のことを知っている。彼女はフクシマでの出来事を見て地球が流した一粒の涙なのかもしれないね。
 
幅の空間で原子核を見ると、それは無数の陽子と中性子が集まった固まりに見えるのだけれど、奥行きの空間で見ると、幾重にも重なった時間と空間のように見える。
 
一方、電子殻の方は幅の世界に追い出された人間がその重なりを追いかけることができるように、奥行きの世界が原子核内部の地図を残してあげたようなものじゃないかな。
 
世界は元素体の表現であり、人間もまたその表現の一部にすぎないということ。
 
少女はいつもそのことを語っている。
 
僕たちが、こうした元素体の世界に入るためには、マヤ人たちがいうところの「インラケチ」の仕組みを反-思考が解き明かし、かつ、反-感覚がそれを感受する必要がある。
 
そこに至って初めて、わたしはあなた、あなたはわたしという元素体への空間の開けが訪れてくる。
 
今の世の中の知識人には何ともヤワで滑稽な言葉に聞こえるかもしれないけど、いずれ分かるよ。素粒子世界の構造はその元素体への道筋をいかなる神学書よりも詳細に表現しているってことがね。
 
逆に言えば、少女が語るように、あなたとわたしの引裂きが素粒子を生み出したとも言えるのだけど。
 
だから―
  
あなたに見つめられてわたしがわたしとなるのなら、わたしがあなたの見つめることになることができれば、わたしはほんとうのわたしとしてのあなたになることができる。
 
この言葉が示す道をただ反-思考によってたどるのみ。

元素体