イェッセ・ミュルダー氏の講演会

先日福岡で開催されたイェッセ・ミュルダー氏(オランダ・ユトレヒト大講師)の講演会に参加してきた。
 
テーマは「歪んだ鏡像(科学的人間像)から真の人間像(ルドルフ・シュタイナー)へ」。
 
ミュルダー氏の専門はアリストテレス哲学だそうで、氏の話もアリストテレスの質料因・形相因・作用因・目的因という四原因説の話から始まった。
 
このうち、氏が最も重視しているのは目的因で、この目的因が15世紀以降、単純な「因果関係」へと転回したことが人間が持つ人間像を大きく歪ませてしまったのだと言う。
   
そこから、この近代以降の人間像の歪みを、シュタイナーのいう物質体・エーテル体・アストラル体・自我という人間の構成要素に対応させながら、順に四つのレベルの歪みとして解説していった。その四つとは以下のようなものだ。
 
物質体レベル……機械的人間像(デカルト)
エーテル体レベル………進化論的人間像(ダーウィン)
アストラル体レベル………経済学的人間像(アダム・スミス)
自我レベル………コンピュータ的人間像(トランスヒューマニズム)
 
つまり、近代以降、人間は、物質レベル、生命レベル、魂レベル、自我レベル、それらすべてのレベルにおいて、本来あるべき人間像(目的因)を一つづつ切り落とすようにして、捨て去っていると言いたかったようだ。そして、これら四つの人間像は根底ですべて連続的に繋がっているとも語っていた。
 
そこで、途中、質疑応答の時間に、機械論的人間像、進化論的人間像、経済学的人間像、コンピュータ的人間像、これら四つの人間像の通底に流れているものを一言で表現するとすれば、どんな言葉をチョイスしますか?と尋ねてみた。
 
ミュルダー氏は、そのときは「外」と答えた。これは、意識がすべて「外」に向いているという意味だ。
 
しかし、講演の最後に思い直したかのように、再びこの質問を自ら切り出して、「意味の喪失」と答え直した。
 
つまり、こういうことだ。
 
・医学は人間の肉体を物質でできた精巧な機械と見る——肉体の意味の喪失。
・生物学は生命を環境に適応しながら絶えず進化していく有機体と見なす——生命の意味の喪失。
・経済学は人間の魂の欲求が経済活動を生み、資本主義を発展させてきたのだと考える——魂の意味の喪失。
・コンピュータ学はすべてを情報とみなし、人間の自我意識をデータ処理を行う一つの高度なプログラムと見なす——自我の意味の喪失。
 
つまり、早い話、近代の人間像というものは、人間であることの意味をすべて棄却するような方向で進んできたということだ。諸学が作り出したこのような考え方は、そもそも、なぜ人間が存在しているのか、その意味を全く問うこともなく、目的因を失ってしまっているというのだ。
 
ミュルダー氏は、人間の個それぞれが個性を持って、今ここにこうして存在していることに意味を与えることのできる新しい空間を創造しなければならない——そう熱く語って、話を終えた。
 
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個人的に嬉しかったのは、このような近代の人間像の進展に危機感を募らせた欧米の哲学者たちがシカゴに40人ほど集まって国際的なシンポジウムを開いたという話。
 
日本の思想シーンは表層的な文化批評でお茶を濁してるものが多いが、まだまだ本来的なところで戦っている哲学者たちが世界にはたくさんいるということ知って、こちらも俄然ヤル気が湧いてきたゼ。

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