表象化の意識の終わり

【落合陽一のシンギュラリティ論】シンギュラリティは2025年に来る/ディフュージョンモデルの衝撃/知的ホワイトカラーが没落する/最新版デジタルネイチャー/音楽と論文が数秒でできる

「人間の最終構成」がよく分かる動画。ディフュージョンモデルはText-to-Imageのみならず、すでに3D生成にも応用され始めていて恐ろしい速度で進化している。いずれは3D-to-3Dから意味生成に進むはず。観察子の構成をコンピュータが代理している感じ。さて、どうする人間。

今、起こっていることを落合氏の図を使ってヌーソロジー的に説明すると、こういうこと。この図で示した「顕在化」の方向を補完していかないと、人間の意識は虚無へと回収されてしまうよ、ということ。デジタルネイチャーの反映物を作り出していかないといけないってことだね。

デジタルネイチャーとフィシスの決定的な違いは、前者には質量の生成ができないということ。内包性がないのよ。すべてが表層的で中身がない。表象化におけるデータの寄せ集めだから致し方ない。最終構成以降の人間の思考の役割は、質量生成に入ること。表象の生成はもうデジタルに任せておけばいい。