ヌーソロジーの基本的な空間認識

「いるもの」と「あるもの」の差異は「前」を意識するか、「手前」を意識するかの違いでもある。「手前」を意識すれば、そこには自分の顔の存在が想像される。しかし、顔は見えない。顔は想像されるだけだ。これは、「あるもの」の世界がすべて「いるもの」の世界の鏡像になっているということを意味している。

この鏡像がどこからやってくるのかと言えば、それは「他者から」としか言いようがない。というのも、「いるもの」は他者の眼差しを通して自分自身を反射させ、自分の顔を、そして、「あるもの」の世界全体を想像的に形成しているからだ。4次元から見れば、この反射が時間である。本来「いるもの」自身は時間を持たず、持続として生きている。

この空間マップからすぐに直感できるのは、わたしとあなたでは「いる」と「ある」の世界が互いにひっくり返っているということだ。つまり、わたしとあなたは同じ世界にはいない。4次元認識を深めていくためには、このことにまずは気づかないといけない。

時間は時間だけでは認識できない。わたしたちが時間を流れとして感じるとき、そこには無意識としての記憶が働いている。その役割を担っているのが「いるもの」を支えている持続だと考えよう。それは4次元空間のことであり、マップが示すように「前」としての”奥行き”に息づいている。

そう考えれば、前と手前の間で持続と時間の間を巡る反復が起こっていることがすぐにイメージできてくるのではないだろうか。目の前に新しい現在のリンゴの像を次々と生産しては、その瞬間像を持続の中へと送り込んでいく意識の反復運動、もっと言うなら、回転運動が自己自身の存在のあり方としてイメージされてくるはずだ。

まずは、このイメージトレーニングをしつこくやることが重要だ。切り抜き動画で「人間とは時間である」と言ったことの意味が少しは伝わってくるのではないかと思う。この感覚が生まれてくれば、ヌーソロジーが脱-表象化の世界と呼んでいる主客一致の世界も少しづつ見えてくる。
というのも、この時間の認識のカタチ自体が「なるもの」の原初でもある素粒子でもあるからだ。物の内部の玄関がここにある。空間に穿たれた存在への穴だ。

※「存在論的スイングバイ」のところの図と、「ある」と「いる」の空間マップを重ね合わせてイメージを膨らませていただければと思います。

いる空間とある空間の区別
4次元時空と4次元空間