魂の反撃のために―追記

シュタイナーは前から後ろへの流れを感覚体、後ろから前への流れを感覚魂と言ってるね。つまり、人間の外面側から内面に向かおうとする流れが感覚体、一方、内面側から外面に向かおうとするのが感覚魂ということになる。接点がもちろん肉体(特に頭部)。

この二つの領域の差異が最も端的に現れているのが、シュタイナー的に言うなら運動感覚。青い玉は持続空間なので「いつでも今、どこでも此処」状態。つまり、非局所。赤い空間側は時空なので、観測者はそこで動ける。でも、それを感じ取っているのは青い玉側というカラクリ。

非常に面白いことに、目をつむると赤い空間の勢力が弱まる。目をつむった空間は実は青い玉の空間の中なわけだね。実際、目をつむって歩いたり、走ったりしてみるといい。運動感覚が一気に弱まるのが分かる。物理的に言って、光と時空は切っても切れない関係だけど、感覚上でも深く結びついている。

あと、自分が「生きている」という実存感覚も、もちろん青い玉が提供してきている。シュタイナーでいうと生命感覚の範疇に入るのかな?意識を赤い空間側ばっかりに傾けて生きていると、生命力が減退し空虚な感覚が芽吹いてくる。

関係ないけど、先日、アレサ・フランクリンが亡くなったそうな。彼女の歌声には思い出が多い。

―ずっといつまでも 貴方はこの青の空間の中にいる……

ということで、Aretha Franklin – I say a little prayerをお聞きください。