時間と空間と複素平面の重なり方―

【重要】自己の持続空間(複素平面で表示)と、通常の時間と空間の関係を図にしてみた(下・上図)
 
幅化した奥行きには二つの方向があり、手前方向に向いたベクトルが人間の内面(物質・言語空間)を作り、奥行き方向にそのまま重なり合い向いたベクトルの方向が感性(知覚空間)を作る。知覚空間(感性)の方は、そのまま奥行き(持続空間)に関与しているのが分かる。これはそのまま知覚が持続(記憶)を含みもっていることを意味している。
  
おそらく、多くの人は他者側に自分の視線を重ね合わせようとするとき、そのまま、自分の身体を他者の位置に回り込ませることでそれができると思っているが、それ自体が人間の内面の意識であるということを図から確認してほしい。
  
図では同じ空間に自他の身体を描き込んでいるが、両者の空間は互いに反転していて、実は同一の空間には存在していない。思形と感性を生み出すために複素平面(無意識:持続空間)は虚軸と実軸を捻って等化させている。この捩れに意識的になることが必要。
 
ここで「通常の時間と空間」と書いたのは、地上的時間と空間という意味だ。近代以前の時空感覚と言ってもいいし、科学的な知識を持たない人たちの時空感覚と言ってもいい。近代以降は地動説の登場でも分かるように、人間の内的視線が上空から介入してくる。これは、無意識が自他の通常の時間軸さえも等化したことを意味している(実は自他の間では思形と感性の関係も反転しているのだが、それについてはいずれ)。
 
地上的時間では、時間は左右方向に流れている。この時間は大地に沿った時間であり、必然的に円環的なものとなる。太陽や星々が空を横切ることがそのまま時間として表象されるわけだ。これは地球の自転と当然関係を持つ。地球の自転自体が「思形の起源=精神が精神を交差する位置」を意味している。
 
当然、上から入射してくる宇宙的な俯瞰的視線は科学的時間となって現れてくる。これが時間の直線化をもたらす。人間の精神とはもはやまったく関係性を持たなくなった時間、単なるものさしのような、唯物論の時間だ。時間の死骸と言っていい。ありもしない時間とも言える。
 
ついでに、最初に書いた無意識による奥行きと幅の等化(捻り)の仕組みを図示しておこう(下・下図)。行列でいうと、これはパウリ行列のσ1行列に当たる。虚軸と実軸のこの相互変換は、内部(前)と外部(後ろ)の変換と同じ。物の内部で働いている持続を共同持続化させて外=延長に出している。それが地上的時間。
 
空間に沈み込んでいる精神構造を意識に上げることは、自己意識の成り立ちをそれこそ「自覚」していく上で絶対に必要不可欠な要素だ。それを用意するために登場してきたのが現代物理学だと考えよう。この方向に物理的知識を変容させることが、これからの時代は必要だ。

※不動空間が複素空間

通常の時間と空間の位置
虚軸と実軸の変換