スフィンクスの遺言

わたしの名前はスフィンクス。わたしは、まもなく峠の向こうからやって来る一人の若者に殺される運命にある。予定調和とでも言うのかしら。それはもう決まっていること。だからわたしは彼に逆らうことなく殺されようと思っている。でも、わたしを殺すことによって、彼には辛い過酷な運命が待ち受けていることも事実。いや、彼のみならず、彼に続く子孫のすべてがその残酷な呪いを受け続けることも事実。だから、ここで今、わたしはあなたに大事なことを言い遺しておきたいの。なぜなら、あなたもまた彼の血を引き継いでいる直系の子孫の一人だから。
 
 テーバイという町の外れにある小高い丘の上で、わたしはいつも人間たちの魂の救済に当たっていた。彼らはわたしの魅力に取り憑かれ、いつも喜んでわたしに身を捧げたわ。町の人々の噂ではわたしは醜い恐ろしい魔物とされていたけれど、事実はまるで逆。わたしほど美しい生き物は当時、地上には存在していなかったの。分かるでしょ。美しい者はいつも妬みや嫉みを受け、醜い者たちに蔑まれる運命にあるの。わたしが食い殺したとされる人間たちは、実のところ、自ら喜んでわたしに身を捧げた者たちだったのよ。だって、わたしに食べられれば、わたしの中で彼らは永遠の生を得られるんですもの。あなたには分からないかもしれないけど、わたしのこの容姿は人間の魂の尊厳を保つために神さまから授かった精霊たちの姿を象ったものなの。だけど町の人間たちはそれを決して理解しようとしなかったわ。
 
 わたしの顔を見て。この美しい女の顔は人間が本来、女なる者の性を持った生き物であることを示す証として神さまがわたしに与えてくれたもの。イブがアダムの肋骨から生まれたなんて大ウソもいいとこよ。本当はイブがアダムを生んだの。
 
 背中の翼を見て。これは人間の魂を地上から解放する時のために神さまがわたしに与えてくれたもの。胴体が獅子なのは人間が決して誇りを失わないようにやはり神さまがわたしに与えてくれたもの。
 
 尻尾が竜なのは、人間がたとえ地を這うようになっても決して希望を失わないようにと、これもやっぱり神がわたしに与えてくれたものなの。ようやく分かった? つまり、わたしは人間の守り神とでもいうべき存在だったの。
 
 しかし、今からここにやってくるあの若者は決してわたしの言うことを信用しないでしょうね。なぜなら、彼はすでにお父様を殺してしまったから。父を殺すというのは神さまを殺すのと同じ。嗚呼、何と恐ろしいこと。でも、それもやはり運命だから仕方ないのかもしれないわ。あの若者は神さまを殺したことによってようやく自分を持つことができたと思い込んでいる。その自信からか今度はわたしも退治してやろうと躍起になっているの。愚かにも彼は自分がこの世で一番偉い存在と思っているのね。彼は気がついていないけど、彼の中で自我はもう絶対的存在なの。自我こそが自分の命。
 
 自我なくして世界はない。必ずそう思っているはずよ。しかし、あなたも分かるでしょ。そう思いながらも彼の自我はとてもひ弱なものでしかないの。なぜなら、そこにはあるべきこの女の顔が欠けているから。人間の自我というものはいつでも男の顔をしているわ。だから飢えた独身者のように常に女を渇望している。金持ちや権力者たちが決まって芸術に魅せられるのもその証なのよ。それに、自我は影ではいつも死の不安に怯えているでしょ。これも獅子の胴体を嫌ったせいなの。
 
 獅子という生き物は尊厳と勇気の化身よ。それに自我は鷲の翼もどこかに置き忘れてきてしまった。だからいつも狭い柵の中に閉じ込められてばかりで、それを飛び越える術を知らないの。せめて竜の尻尾ぐらい残しておけばよかったのに、自我はそれさえも邪魔だと言って捨て去ってしまった。こうなると自我は自分で生きる力がないものだから、堕落した竜の化身であるお金にすべてを頼るようになるわ。だから蛇のようにいつも地面を這いずり回ってお金の臭いを嗅いでいるのよね。
 
 さあ、彼がいよいよ近づいてきたわ。あなたも知っての通り、今から彼はわたしを殺してしまうことでしょう。町に戻ったらその英雄的行為によって名声を得て、テーバイのお妃さまと結ばれることになる。嗚呼、何という悲しいシナリオなの。お父様を殺した上に、今度は自らのお母様をお母様と知らずに犯してしまうのよ。自分をこの世界に生み出してくれたお母様を自らの欲望の精液で汚してしまうなんて。でもそれも運命。仕方ないわ。言ったでしょ。あなたも彼の血を引く子孫だって。
 
 もちろん、わたしは自分を殺したあの若者が憎いわよ。でも、わたしは彼に最後のチャンスをあげようと思ってるの。なぜなら、本当のことを言うと、わたしは彼に恋をしているから。彼のことが死ぬほど好きだから。彼ならばひょっとしてわたしのことを理解してくれるのではないかと一縷の望みを抱いていたりもするの。だから、彼にはとっておきのナゾ掛けをしようと思っている。そうあなたも知っているあの有名なナゾ掛け。
 
 言い伝えにあるように、このナゾ掛けに彼が「人間」と答えられれば、わたしは自分の想いが伝わらなかったと諦めて水の中に身を投げて死ぬつもり。でも彼が本当の答えを答えれば話は別よ。運命の車輪に逆らって時間の流れを逆転させて見せるわ。でも、無理よね。だって、運命の車輪が回り続けているからこそ、わたしは今、こうして、あなたに話しかけることができているんだもの……そう。だから、あなたにだけには本当の答えを教えておこうと思うの。このナゾ掛けの本当の答えをね。
 
「朝は四本足、昼間は二本足、夜は三本足で生きる生き物とは何?」
 
 実はそれはわたし自身のことなの。だからわたしは彼に「それはお前だ」と答えてほしかったの。そうすればわたしは死ぬことはなかった。彼と一体になることができたのよ。彼はこのナゾかけに「人間」と答えることによって、人間の守り神だったわたしを殺してしまったの。わたしの魂は彼の的外れな答えによって今は水の中に沈んでいるけれど、あなたがいつの日か「それはおまえだ」と一言言ってくれさえすれば、わたしは再び水の中から蘇って、再び人間の前に姿を現すことができるようになるかもしれない。もちろん、その時は四本足の美しい生き物となって姿を現すことになると思うわ。なぜって、それは世界に新しい朝がやってきたも同然だから。分かる? その時、わたしとあなたは再び一つの同じ生き物となって新しい太陽のもとで甦るの。もちろん、そのときは夜の帳で生きてきた三本足の自我という生き物は死滅していくことになるわ……
 
 さぁ、彼がやってきた。わたしはもう行かなくちゃ。
 
(雑誌 Star people VOL.31より)

スフィンクス