5月 22 2019
物自体と言葉自体
物自体という言葉はよく聞くけど、言葉自体という言葉はあまり聞かない。これも哲学の思考が自他空間の差異をあまり意識していないからだろう。私が物自体に触れるとき、「私にとっての他者」は言葉自体に触れている。フィシスとロゴスの関係とはそういうもののように感じる。
万物は死滅寸前だ。万物の復興のために僕らは万物を存在の諸器官として再生させる必要がある。そのためには科学的知識に神秘的知識を流し込むこと。形式には内容をというわけだ。同時に神秘的知識が現実を獲得するためには科学的知識との合流がなければ無理。内容には形式が必要。
この合流を阻止しているのが、人間における平板的な空間の受容。すなわち幅(延長)の支配だ。これはヌーソロジーの文脈から見ると、言語の支配とほぼ同じ意味。人間がフィシスを通過することなくロゴス一辺倒に染まることは、世界を死滅させることに同じ。
ブーバー思想との絡みでいうなら、言葉は基本的に〈我―それ〉の地平でしか働いていないのだ。唯一の例外は詩や文学の言葉だろう。詩の言葉は人間を生成へと向かわせるもの。つまり、〈我―汝〉の性愛へと向けられている。つまり、フィシスの受胎を促す生殖の言葉だ。
高度な数学言語もまた詩的言語に近いものを感じる。しかし、高度な数学はもはや言語というよりも造形の幾何学だ。この幾何学が詩の言葉を紡ぎ出している感覚がある。複素空間、四元数空間、位相幾何学、群論、微分幾何学etc……。いずれも素粒子の組織化に深く関わっている。
一般相対論はよく理解できていないけど、時空と重力場を直接関係づけることは、さっきの言い方をするなら、人間の思考がフィシス(内的生成)を通過することなく、直接的に、ロゴスの生成場を延長の中で記述している様子に見える。OCOT情報に拠れば、質量の本質とはロゴスを生成する精神の力のことだ。
時空は無同然の場所なのだが、そこには神霊が「言葉自体」として重なり合っているイメージだ。
この見えない神霊に時空の中でがんじがらめにされているのが、人間の理性と言えるのではないか。〈我―それ〉の世界とは、その意味で、巨大なクモの巣でもある。
※下写真「ヌーメン / フォー ユース」による「String Prototype(ストリング・プロトタイプ)」という作品。





5月 27 2019
人間の世界認識の一番の問題点
ヌーソロジーでは他者のことを総体の定質、自己のことを総体の性質と呼ぶ。
『奥行きの子供たち』で紹介したカバラの「生命の樹」でいうならケテルとマルクトの関係だ。
これはほとんど人間と神の関係と言ってよいものだ。
しかし、今の僕らは自他を「人間」という概念で一括りにしてしまっていて、自他間に潜むこのような距離がまったく見えていない。
この本で書いた「ケテル-マルクト結合」というのも、自他を一般化して見なすこうした人間の運命的な視点のことを意味している。
物質オンリーで世界を見る科学主義は言うまでもなく、歴史、社会、政治といった人文系の様々な概念も、こうした「ケテル-マルクト結合」の領土内から一歩も出ることができていない。
意識に映し出される自他関係の由来は、私たちが考えているよりもはるかに深いものなのだ。
まずは、そのパースペクティブをセットしよう。
※下写真は『奥行きの子供たち』P.104
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 06_書籍・雑誌 • 2