12月 8 2017
新世界
神は内側から世界を創造する。
しかし、人間は外側からしか世界を思考することができない。
そのため、人間が作り出す制作物はすべてが外側からの想像力によるものとなる。
神が世界を創造する方向と人間が文明を創造する方向は真逆であるということ。
もちろん、これは宇宙にとっては予定調和の一環だろう。
しかし、この転倒が行き過ぎるときがやってくる。
鍋の底はいつかは抜けるものなのだ。
光の中に電磁波が混じること。
食べ物の中に添加物が入ること。
元素の中にTRUが加わること。
体内にナノマシンが侵入していくこと……etc。
もちろん、私たちはよかれと思って様々な技術を開発していくわけだが、
時が来れば、それらは、すべて破壊的創造となる。
それもまた予定されていたこと。
価値転換の時が来ている。
内側から世界の風景をイメージできる想像力を持つこと。
『シュタイナー思想とヌーソロジー』は、
その一つの在り方について書いた本だとも言える。
要は、人間ではなく、神と同じ方向で事物を思考できないか、
それを試みているわけだ。
「ヌース」の意味がもともとは神的知性であるのだから、
ヌーソロジー(ヌースの学)を名乗るからには、これは当然のことと言える。
人間につねに外側から思考を強制しているもの。
それが自我の神だ。
自我の神においては、本来は無限小にいる神が、
あたかも無限大にいるかのように錯覚されている。
天にまします我らが神よ——。
ユダヤ-キリスト教的一神。
天津神。
ビッグバンをイメージする巨大な一つの目。
今までは無限小の神に人間が語りかけることは禁じられていた。
内側から世界を思考することは不可能だった。
しかし、すでにゲートは開き始めている。
それによって、空間は幅から奥行きへ、
時間は一瞬の現在から永遠の現在へとその質を変えつつある。
さぁ、
新しい思考を!!
新しい感情を!!
新しい人間を!!
※下画像はhttps://fineartamerica.com/よりお借りしました。
12月 15 2017
日本語の位置
日本語は付帯質を前に持つ、とOCOT情報はいう。これは、日本語が人間の外面に主体を感じ取っていることを意味している。その意味で言えば、日本語とは”感性”言語であり、持続的な言語であると言える。
「もの」の言語と言い換えていいかもしれない。別の言い方をすれば、「あなた」の言語でもあり、主体は二人称にあるともいえるだろう。言葉が最初から相手の立場に立っているということだ。ここでは「わたし」は「汝の汝」として感じ取られる。
一方、他の多くの民族は付帯質を後ろに持っていると言う。こうした言語においては、主体は見られるところに作り出される。一神教であれば、神によって見られている自分という形で、自らを神の眼差しの中に措定するのだ。
このような言語は”思形”言語であり、「延長」の言語であり、「肉体」の言語であり、「わたし」の言語であり、主体は当然のことながら一人称にある。
観察子構造から見ると、付帯質を前に持たせている力の本質は、ヒトの定質という力にある。シュタイナー的にいうなら、これはアストラル界の力だ。一方、付帯質を後ろに持たせている力の本質は、ヒトの思形という力にある。これは、エーテル界の力に対応する。(下図は次元観察子に凝縮化させて表現)
アストラル界はすでに次元の交替化を二度持っている。
君は日本語の位置を正しく感じ取っているだろうか——。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 付帯質