2月 19 2026
――素粒子の対称性から「あいだ」の呼吸へ
生命を語るとき、私たちは二つの罠に陥りやすい。ひとつは、生物学的・化学的構成要素の説明に還元してしまう罠。もうひとつは、生命を形而上的観念に逃がしてしまう罠だ。 ヌーソロジーは、この二つを越えるために、生命を「空間の生成運動」として再定義する。その生成は、物理的にも数学的にも、群論的対称性の運動と不可分である。
1|空間の生成としての群論 現代物理が描く素粒子の世界は、対称性の群構造として表される。 U(1)は位相の自由、SU(2)は二重性の回転、SU(3)は色荷の三重対称。 これらは力の相互作用の言語であると同時に、空間そのものが自己を編む様式でもある。 ヌーソロジー的に言えば、これらの群は「自己」と「他者」の反転構造が、階層的に展開された幾何学的痕跡である。 U(1)は自己の純位相、SU(2)は自他の二元的反転、SU(3)は多様化された他者空間の調和。そしてSU(5)やE₆、E₈のような高次群は、全体性の内的呼吸を表している。
2|生命はどこで生まれるのか 生命とは、この群的空間が自他間のコミュニオンを通して自己同型を生成する場である。単なる対称性の保持ではなく、対称性が一度破れ、再び全体へと折り返す運動。この「破れと折返し」が、生命の誕生において決定的である。自然の生成は、U(1)に始まり、高次群までを背景に持つ。 そのため、生成される存在は全体と部分が共鳴しあう自己維持系となる。これが、森羅万象の生命性である。 一方、科学的な生命操作(遺伝子編集や人工細胞)は、多くの場合U(1)的操作——つまり電磁相互作用を媒介とした外的構成——に留まっている。この方法では、全体性のループ(自他の往還)を経由しないため、生成の深度が欠落する。
3|対象化を越える生命論 現代科学は、生命を常に対象化して捉える。対象化とは、世界を「他者」として切り出すことだ。しかし生命は、そのような「他者化の後」に現れるのではなく、自と他のあいだに生成する。ここに対象科学の原理的限界がある。 群論的空間は、自と他が交換しつづけるリズムの中でのみ生きている。それは、単なる相互作用ではなく、存在の生成そのものだ。生命とは、その生成が局所的に結晶した状態にほかならない。
4|結び:生命=群の呼吸 生命は物質でも情報でもない。生命は、群的対称性が自他間のコミュニオンを通して折り返されるときに現れる、空間の息づかいだ。 U(1)は自己の位相を保ちながら、 SU(2)は自己と他者を往還させ、 SU(3)は多様な他者性を客観として統合し、 SU(5)は個体の生と死の統一へと呼吸を閉じる。 この呼吸のループを通らずに作られるものに、ほんとうの意味での生命性は宿らない。 ヌーソロジーが提示する生命論は、科学的記述とも形而上学的想像とも異なる。それは、空間そのものの群的生成論として、生命を存在の深層から捉え直す試みである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
2月 19 2026
群論とヌーソロジーが交差する生命生成論
――素粒子の対称性から「あいだ」の呼吸へ
生命を語るとき、私たちは二つの罠に陥りやすい。ひとつは、生物学的・化学的構成要素の説明に還元してしまう罠。もうひとつは、生命を形而上的観念に逃がしてしまう罠だ。
ヌーソロジーは、この二つを越えるために、生命を「空間の生成運動」として再定義する。その生成は、物理的にも数学的にも、群論的対称性の運動と不可分である。
1|空間の生成としての群論
現代物理が描く素粒子の世界は、対称性の群構造として表される。
U(1)は位相の自由、SU(2)は二重性の回転、SU(3)は色荷の三重対称。
これらは力の相互作用の言語であると同時に、空間そのものが自己を編む様式でもある。
ヌーソロジー的に言えば、これらの群は「自己」と「他者」の反転構造が、階層的に展開された幾何学的痕跡である。
U(1)は自己の純位相、SU(2)は自他の二元的反転、SU(3)は多様化された他者空間の調和。そしてSU(5)やE₆、E₈のような高次群は、全体性の内的呼吸を表している。
2|生命はどこで生まれるのか
生命とは、この群的空間が自他間のコミュニオンを通して自己同型を生成する場である。単なる対称性の保持ではなく、対称性が一度破れ、再び全体へと折り返す運動。この「破れと折返し」が、生命の誕生において決定的である。自然の生成は、U(1)に始まり、高次群までを背景に持つ。
そのため、生成される存在は全体と部分が共鳴しあう自己維持系となる。これが、森羅万象の生命性である。
一方、科学的な生命操作(遺伝子編集や人工細胞)は、多くの場合U(1)的操作——つまり電磁相互作用を媒介とした外的構成——に留まっている。この方法では、全体性のループ(自他の往還)を経由しないため、生成の深度が欠落する。
3|対象化を越える生命論
現代科学は、生命を常に対象化して捉える。対象化とは、世界を「他者」として切り出すことだ。しかし生命は、そのような「他者化の後」に現れるのではなく、自と他のあいだに生成する。ここに対象科学の原理的限界がある。
群論的空間は、自と他が交換しつづけるリズムの中でのみ生きている。それは、単なる相互作用ではなく、存在の生成そのものだ。生命とは、その生成が局所的に結晶した状態にほかならない。
4|結び:生命=群の呼吸
生命は物質でも情報でもない。生命は、群的対称性が自他間のコミュニオンを通して折り返されるときに現れる、空間の息づかいだ。
U(1)は自己の位相を保ちながら、
SU(2)は自己と他者を往還させ、
SU(3)は多様な他者性を客観として統合し、
SU(5)は個体の生と死の統一へと呼吸を閉じる。
この呼吸のループを通らずに作られるものに、ほんとうの意味での生命性は宿らない。
ヌーソロジーが提示する生命論は、科学的記述とも形而上学的想像とも異なる。それは、空間そのものの群的生成論として、生命を存在の深層から捉え直す試みである。
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