本日閉店

 どうしても深夜に現金が入り用になって、近くのコンビニに現金を下ろしに行く。キャッシュデリバリーにカードを入れたはいいものの、画面にどでかく「お取り扱いできません」という表示が出る。何ぃ〜!! どうやらわたしが使用している銀行口座はローカルなので、大手都市銀行とは違って、取り扱い時間が限定されているらしい。N銀よ、君は一体何をやっているんだ!!とここで罵ってもお金が出てくるわけではない。寒風吹きすさむ中、とぼとぼと肩を落として淋しく引き上げた。

 文明依存症。便利な要素が増えてくればくるほど不満が募るという悪循環。資本主義経済とはまさに人間をそういう生き物ににする挙国一致体制である。即甘経験-あなたもわたしもポッキー。出会い系サイトでセフレ作って即エッチ。クリック一つでお買い物。おまけにポイントも付きますよ。。生きることの効率をよりよくテンポを上げさせているかのようには見えるが、実際のところ、人間を衝動性という檻の中に閉じ込めて行く現代資本主義社会。ここには刺激-反応という条件反射による反復活動しかない。論より証拠。ためのない会話。長続きしない商品。しなりのない人間。それゆえに爆発できない文化。

 脳には報酬系という分泌機能がある。苦痛に耐えていると「よく我慢しましたね」ということで、苦痛を和らげる物質が脳内に分泌されるのだ。ご存知、エンドルフィンやセロトニンである。苦痛は精神落下による位置エネルギーの減少によるその差異が引き起こすもので、脳内物質とはこうした差異を無効にする引き戻しの作用を持つ。要は一つの変換なわけだ。この変換の上昇力が人間には快感と感じるわけで、快感自体が精神に何らかの新しい価値、つまり、精神をよりよきものにするための力を与えているわけでは決してない。その意味で言えば幸福とは人間のイニシャライズ化であり、その初期状態を保つことが人間の幸福の指標なのである。それは誰しも子供時代の無垢を思い出して見ればすぐに分かる。

 こう考えると、人生とは−1と0との間の限りない反復のようにも見えてくる。何者も+側への侵入を禁ず——まずはこのことをしっかりと自覚したい。人間はつねに−1という苦痛を背負って生きる。幸福とは0への引き戻し作用としてある。これは常識だ。よって、つかのまの幸福感を得るためには苦痛の中へとを自らもって飛び込む必要がある。苦悩や苦痛から逃避している限り、幸福をもたらすセロトニンは分泌されない。もし逆に、−1が常に0を求めて動けば、つまりセロトニンの取得だけを目的として生きるなら、再び−1に引き戻されるのがオチだ。下がる力には上がる力。上がる力には下がる力。それが宇宙のコントロールというものだから。幸福を求めると苦痛が増すという悪循環もそのからくりからくる。一億総幸福中毒症。先進国社会とはそういうものたちで埋め尽くされた巨大病棟だ。

 セレブに憧れるのも糞。下流社会におびえるのも糞。下流なら下流でいい。徹底して下流でいい。運良く上流なら上流でもいい。そんなこと知ったことか。真の重荷を背負おうことはそういうこととは全く関係ない。要はこの反復を重荷と感じること。やがて到来するであろう精神の0と+1の間の反復活動に適応する新しい身体は、おそらくこの重荷に対する反発力として登場してくる。徹底して堕ちろ。そして徹底して上がれ。その間の反復運動の加速度に気持ち悪くなったやつが勝ちだ!!