シリウス革命、再版!!

book_sirius 拙著「シリウス革命」が再度、版を重ねるという報告をT出版から受ける。これで第4版目だ。初版、第2版とたしか3000部づつの増刷で、第三版が2000部だったので、この第4版目で累計1万部を突破したことになる。よく頑張ってくれているシリ革ちゃん。時間はかかってはいるものの、3200円という本体価格、650に上らんとするページ数、内容も決して大衆的と言えるものではない。そうしたハンディをかかえて1万部とは。。セールスという観点からすれば、低次元でのつぶやきだが、実にうれしい。

 少数のオタクマーケットが乱立するポストモダン市場においては、こうした売れ方もアリなのだ。版元のT出版によれば、「シリウス革命」はコンスタントにロングセラーを続けているとのこと。初版が1999年。第二版が2000年。第三版が2005年。第四版が2006年。2001年から2004年までの間は、T出版側の諸事情もあって、再版が控えられていたが、いざ再版してみると着実に売れていっているらしく、今後もこのペースは衰えないだろうという予測だった。これからも全国書店のT出版の書籍コーナーには「シリウス革命」が常備されていくことになるだろう。

 トンデモ本というレッテルが貼られてはいるものの、自著がロングセラーになるというのはとても嬉しいものだ。たとえ年間1000部の売れ行きでもいい、それが20年間続いていくことの方が、いきなり数万部のベストセラーを出すよりは遥かに価値があることだと自分では勝手に思っている。

 今の時代、情報の消費されるスピードは驚異的に早い。情報が言語で記されるものである限り、いかなる情報も「語り」の範疇にある。言葉や文字の羅列を他者の「語り」として置き換えてイメージできた時にこそ、情報の本当の価値が見えてくる。他者の語りには「語ること」と「語られたこと」の二つの種族がある。それが僕の持論である。
「語られたこと」とは、意味が言葉そのものに託されているような平面的な語りのことである。この場合、語りは一つの商品のようにして消費され、図書館や公文書やデータベースの中を賑わしている他の知とともに知の履歴として、言葉の博物館に所蔵されることになる。ただ、語りの履歴として保管されるだけだ。

「語ること」とは、それとは全く次元の違う行為である。語ることそのものにおいて宇宙の生成が為されるような語り、それが「語ること」だ。ヌースにとって、宇宙とは自己と他者の間にある無限の距離を持つ回廊空間のことである。語りはこの回廊に言霊を響かせることがなければ何の意味も持たない。「語られたこと」はこうした実存の場には何一つ触れられず、ただただデータベースの中で記録として残るだけだが、「語ること」は、そのまま生命の内奥の中に入り込み、宇宙の生成の律動に微量ながらも永遠の糧を補給する。

 僕なりに思うのは、長い間売れ続ける本には、こうした糧が多少なりとも含まれている。ただの流行や情報の集積本などに一体どれほどの価値があろうか。あらゆる知識が言葉から成立するものであるのならば、知識は新たな命の種子であるべきだ。収穫は別に100年後だって1000年後だって構わないのである。ただただ生きる「今」を種子として、言葉を紡いでいくこと。そういう書物がもっとたくさん出てきて欲しいものだ。