時間と別れるための50の方法(26)

●光子の顕在化と双対性
 次元観察子ψ3~ψ4における双対性を作るために、下図1のように「わたし(以下、自己と呼ぶことにします)」から見たモノの背景側に「あなた(以下、他者と呼ぶことにします)」を配置することにします。このとき両者における次元観察子ψ3とψ4がどのような関係を持って構成され、さらにどのような働きを持って機能しているかをこの図を参照しながらじっくりと考えてみることにしまょう。

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 まず、この図から図式的に見て取れるのは、自己と他者では視野空間上に映し出される射影の方向が全く逆になっているために、ψ3とψ4の球空間の関係も丸ごとひっくり返って構成されているということです。早い話、人間の内面と外面の関係が逆になっているわけですね。これら両者の双対関係を明確にするために、ヌース理論では他者側の次元観察子の記号にψ*(「プサイスター」と読んで下さい。「*」はアスタリクという記号で、元来は数学で複素共役関係を表す記号です)を用いて、ψとは区別して表記します。
 このような自他間における相互反転関係の概念をモノを中心として広がる3次元空間に導入することによって、目前の空間が一挙に{ψ3~ψ4, ψ*3~ψ*4,}という双対性による4重構造を持った空間に変質してくることが分ります。実際に、皆さんも次元観察子のψ3とψ4の球空間を構成するための直径部分を確認してみるとよいでしょう。「ψ3」の直径が自己から見た対象の背後方向、ψ4の直径が同じく自己側から見た対象の手前方向(わたしの背後方向も含む)です。他者側においてはそれらの方向性が互いに逆になっているのが分かります。

 さて、問題はこれら双対の空間構造が意識の形成とどのような関係を持っているかということです。ここはヌース的世界観に入っていくための最重要基盤となる部分なので、しっかりとイメージを作りながら読み進めて下さい。
 OCOT情報によれば、ψ4(モノの手前に想定されている自分の顔やその背後性)はψ3(知覚正面)の「反映」として生じてくる観察子とされます。僕自身、OCOT情報の解読初期の頃は、反映というからには、ψ3が生まれたときに、その反作用のようなものとして自動的に立ち上がってくる空間のようなものとして解釈していました。しかし、しばらくするうちに、ψ4をψ4として反映させているものが別にあるということに気づき出しました。それがψ*3(他者の知覚正面)です。どういうことか説明しましょう。

 この図1に即した言い方で言えば、まず、現象としてのψ3=知覚正面があります。そして、そこには他者が映し出されています。そこで、ψ3は今度はその他者の知覚正面=ψ*3側を利用して、そこに映し出されているであろうと思われる他者と類似した形を持つ(わたしの)顔やその背後側=ψ4を、意識の中にイメージ化していきます。本来の主体としてのψ3(知覚正面)は最終的にこのイメージを自分だと思い込み、そのイメージに自己同一化し、結局、本来、ψ3だったものがψ*4に化けてしまい、ψ3自体は無意識化してしまうというわけです。

 アドバンスト・エディションではこの辺の事情をラカンの鏡像段階論を用いて説明しました。人間は生まれてきたとき、まずは触覚中心の世界に投げ込まれます。ヌースで言えばこれはまだψ1~ψ2(モノ)の世界です。この時点では意識はまだモノの外部へは出ておらず、モノの界面当たりでまどろんでいます。生まれたての赤ちゃんが母親の乳房にしがみつき、オッパイを呑んでいる姿を想像すればいいでしょう。この段階の意識にとって、世界は心地よい感覚を与えてくれる母体だけで、意識はまだその母体とは切り離されておらずウロボロス的状態にあると考えられます。そこから、徐々に視覚が機能し始め、世界の見えとしての現象世界(phenomenon)が光とともに到来してきます。ようやくここでψ3=知覚正面の次元が活動を開始し始めるわけですが、まだそこにあるのは何の意味づけもないまっさらな原光景の世界です。赤ちゃんで言えば、あばばば、あばばば、やってる頃ですね。しかし、やがてその原光景の中に存在する正体不明の無数の黒い穴(他者の目)から、この無垢なる知覚正面=ψ3は「見つめられる」という経験を受け始めます。以前、無数の目が古代エジプトの父神であるオシリス(os-iris)の語源となっていることをお話したと思いますが、このときに他者の目が果たす役割はそれこそ名付け親ならぬ目付け親としてのGod father(父なる神)と言っていいものです。このように他者の知覚正面=ψ*3とは自己を作り出すための最初の契機となるものなのです。もちろん、このときの他者=God fatherは普通に僕らが他者と呼んでいるものとは区別して考えなければなりません。なぜなら、赤ちゃんの意識には、まだ、世界の中心として感じるような「わたし」は生まれていないのですから、それと相対する「あなた」などと呼べる存在も生まれようがないからです。幼児が「ボク」や「ワタシ」という自覚を持つ以前に存在していたと思われるこうした他者のことをラカンは「大文字の他者」と呼んで、普通の意味での他者とは区別します。つまり、ものごころつく前とついたあとでは、他者はその存在の意味合いを大きく変えてしまうということです。

 現象世界に現れている無数の眼差しが何やら一点に焦点化されていることにψ3=知覚正面は気づき始め、自分の居場所とは正反対のところに自我の基礎となる楔(くさび)が打ち込まれていきます。これが自身の顔貌、もしくは身体のイメージです(ラカンはこうした身体の統一イメージを「想像的自我の基盤」と考えます)。同時にこの顔貌は自身に背後があるというイメージも持ち始め、ここにψ4という次元観察子が形成されていくことになります。この鏡像段階を通して、幼児は自分にも目があることを知るようになるわけですが、しかし、ここで想定されている顔貌や目はあくまでもψ*3、つまり、鏡(他者の視野)に映った「わたし」のイメージの範疇にすぎないことがわかります。ψ3がそのイメージと同一化するには、実はもう一度反転が必要です。このとき生じるのがψ*4だと考えて下さい。モノの背後性が「ボクの前」として認識されてきたときのことです。別の言い方をすれば、God father的存在だった他者を通常の他者として見なす最初の眼差しが生まれたとき、という言い方もできるかもしれません。こうして、人間の意識としての「モノ」と「わたし」という認識を規定している空間がそれぞれψ4とψ*4として形成されてくることになります。

 このへんの事情をラカンのシェーマLと照応させて下図2で整理しておくことにします。「わたし」や「あなた」という概念が成立するためにこの双対性のシステムがいかに不可欠なものであるかが分ります。ヌース理論はこの構造性をダイレクトに空間自体が持った構造と見なすことによって、精神と物質という二項対立を無効にしようと目論んでいるわけです。ちなみに、このψ3~ψ4、ψ3*~ψ*4は物質の始源としての光子(γ線)ではないかと考えています。——つづく

Shema