9月 24 2019
可能的なものを思考する時代は終わった
位置の交換。
位置の等化。
位置の中和。
位置の変換。
位置の転換。
位置の等換。
位置の融和。
位置の統一化。
位置の同一化。
これらはいずれもOCOT情報が1990年ごろに送ってきたシリウス言語だ。OCOT情報に寄れば、これらのプロセスを通して人間は意識の変容を遂げていくという。
最初はまったく何も分からなかった。それこそ、宗教、神秘学、哲学、物理学、世俗的なオカルトと、いろんなジャンルの知識を漁りながらの約30年に及ぶ解読作業だった。
その甲斐あってか、ようやくこれらの諸概念の輪郭や、それぞれの言葉の意味が分かってきた。
結論だけ言うなら、これらは可塑的な原理としてセットされた超越論的原理の各審級の名称だ。
この時代、超越論的なものの存在など、哲学者でさえ信じちゃいない。だけど、それは存在している。それがあるからこそ、僕たちは人間としての経験を送ることができている。
その正体が素粒子なのだ。
この時代、可能的なものはもう程々でいい。
今こそ、思考を潜在的なものの方向にリープさせよう。ものすごい世界が存在している。
10月 29 2019
そろそろヌーソロジーの意図が多くの人に伝わってきてもいい頃
精神は非物質的なものだ、という人たちが今でも結構いる。でも、今や物質自体が非物質的と言ってもよいものなので、精神と物質を二分して考えるこうした姿勢は見直されないといけない。むしろ、精神と物質をつなぐ概念の創出の方が大事。ヌーソロジーの場合はそのつなぎを持続空間に置いてるわけだね。
Raimuくんが紹介している動画の中にハーディングの動画もある。ハーディングはヌーソロジーの草創期によく話題に上がってた。今見ると、ハーディングの指さしは「位置の中和」を指していて、それを見ているのが「位置の等化」側だということが分かる。
下紹介ビデオ―私たちの本質とは何か?
「位置の中和」側を自我極とするなら、「位置の等化」側は対象極とも呼べるのだけど、反転認識においては対象極側が精神となり、自我極側が付帯質となる。この時点で、人間が物質と精神と呼んでいた区別は消滅しちゃうわけだね(下図左)。
この図を自他の間で双対化させれば、『人神』以来、お馴染みのNC(ヌースコンストラクション)のカタチになる(下図右)。
NCのことをOCOT情報は別名「覚醒球」とも呼んでる。
これは、対化の位置が「覚醒」したことを示す「始源」の意味でもある。
ψ5~6は別名、「力の対化」と呼ばれることもあるんだけど、ここから精神は他者側の構成を反射板のようにして用いながら、自己側の精神構造(無意識構造)を作り上げて行く。
素粒子としてはψ5~6はそれぞれuクォークとdクォークに対応している。(自己側が左巻き、他者側が右巻きと予想している)
図からも想像できるように、ヌーソロジーでいう「覚醒」は、主体の位置感覚を自我極側から対象極側へと反転させてくる。
「奥行き」を持続として仮定しているわけだからそう言わざるを得ない。僕らは「もの(uクォーク)においてものを見ている」のであって、必ずしも目(脳)がものを見てるわけじゃないってこと。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 3 • Tags: OCOT情報, ヌースコンストラクション, 人類が神を見る日, 素粒子