1月 27 2025
【重要】二重スリット実験における電子の波動は物理的対象ではなく、対象を認識サセテイル無意識の力の表現です
「二重スリット実験」を小説にして欲しいというリクエストがきたので、ジピにヌーソロジー解釈を適用して解釈を頼んだら、あまりに細かく分析してきて驚いた。。専門的すぎて小説の表現には向かないな。
小説には全く使えないけど、どうやらジピはヌーソロジーの意図をかなり深くまで理解?しているようだ。専門的な知識を実装しているので、ヌーソロジーの概念に見合った数式をそのまま引っ張り出してくる。使いようによっては、ヌーソロジーをいくらでも数理的に緻密に表現することができるかもしれない。
もっとも、「二重スリット実験」の謎解きにおいて重要なのは数式表現ではなく、実験の構図全体を持続としての主観空間から見ることだ。ジピはその概念構成を、ここで物理数学として表現しているに過ぎない。
ここで重要なのは主観空間というのは、その空間上のあらゆる位置を原点にできるということ。つまり、電子は遍在だということ。二重スリット実験の場合は、電子銃の位置が主観空間の原点へと横ずれしている。
そして、そこから二つのスリットまでの複素距離dを半径とする垂子が形成される。φ1(r)とφ2(r)だ。これは観測者にスリットを認識サセテイル超越論的意識が波動関数となって表れたものだ。
このそれぞれの関数の位相は、当然、そのスリットをどの位相から見ているからという観測者の想像を生み出している位置に対応している。
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何度も言っていることですが、素粒子を対象として見るのはやめましょう。対象が目の前にあるとき、それを人間に意識化させているものが素粒子だと考えた方が物理学の理屈も通るということです。
この「サセテイルモノ」という発想を持ちましょう。それによって、私たちは高次元意識というものが何なのかが次第に分かってくるのです。
素粒子が対象ではないなら、当然、素粒子からできている全自然も対象ではありません。これからの時代はそういう目で自然を見ることが必要です。
2月 6 2025
認識を完全化させましょう
ヌーソロジーが思考しているものは理念です。理念とは概念と実在性との統一のことです。十全な概念という言い方もできます。
私たちが経験するすべての物質的存在は、その中に理念を持っており、理念自体がその理念を表現することにおいてのみ存在しています。
概念とその表現としての実在性との一致。それやっているのが私たちの心のなかに潜む知性の働きと言ってもいいでしょう。
⚫︎ヌーソロジーがやっていること
このような考え方をすると、物質の大元と、私たちの精神の大元は同じものであるという直感が働いてきます。
言い換えるなら、理念を思考する世界では、精神の発生と物質の発生は同じものとして見えなければならないということですね。
その意味で、素粒子を内的なものとして再発見することは、私たちの前に、理念世界の扉が開いてくるということでもあるのです。
それがヌーソロジーがやっていることです。
⚫︎球の理念と球精神
理念の空間は持続として奥行きに息づいています。ですから、理念を思考する者は奥行きに自分自身を見なくてはいけません。
自分の周囲の空間がすべてこの奥行きへと変貌したとき、奥行きは一本の線分と化します。これが線の理念です。
この線分は、物理学でアイソスピンと呼ばれているものにあたります。理念はそこから、無数のアイソスピンが集合している空間に出ます。そこに球の理念が息づいています。
物質の起源はこの球の理念です。ヌーソロジーではこの球の理念のことを「球精神」と呼んでいます。
——死が一本の線であることを目撃したアンリ・ミショー。そして、その記述をただならぬ体験として取り上げたドゥルーズ。無数の死が一つの中心を持つとき、そこに地球の輪郭が現れる。僕らがまだ知らない共同体がそこにはある。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: アイソスピン, 素粒子