6月 19 2019
素粒子の全体像がようやく見えてきた
最近は等閑にしていた潜在化におけるΨ13~14の内部構成について考えている。
Ψ13~14はψ11~12の等化と中和の次元に当たるのだけど、これは自己側の無意識が他者側のΨ*11~12領域までアクセスしていくことを意味している。ここにレプトンの三世代を配置すると標準理論的に綺麗に収まるのだが、この領域が何を意味するのかが未だにハッキリとつかめていない。
物質粒子(フェルミオン)にはクォークとレプトンの二種類があり、それぞれが以下のような三世代を持つ。
・クォーク
uクォーク・dクォーク
sクォーク・cクォーク
tクォーク・bクォーク
・レプトン
電子・電子ニュートリノ
ミューオン・ミューオンニュートリノ
タウオン・タウオンニュートリノ
OCOT情報では人間の個体意識の構成はΨ11~12で完成され、それぞれ人間の意識の定質、性質と呼ばれる。そして、それらが電子とニュートリノの関係にあたる(『人神』や『シリウス革命』では電子とニュートリノはΨ5~6にしていたが、次元の多重性が見えてきたために現行のヌーソロジーでは大きく変更されている)。
そこから先にΨ13~14という段階があるのだが、ここが今ひとつ謎。クォークとレプトンが三世代存在していることと関係があるとの直感があるが、どうもうまく整理できない。
Ψ11~12はΨ *5~Ψ *6領域へと凝縮し、電子と電子ニュートリノの位置を作る。これはちょうどu,dクォーク(Ψ5~6)のウラに相当してくる。トップとボトムクォークもそこに重なっている。
この辺りはヒッグス場とも関係してくる。というのも、トップクォークやダウンクォークはヒッグス場の崩壊から出てくるとされているからだ。同時にWボゾンも絡んでる。弱い相互作用の場というのは様々な次元のレイヤーで入り組んでる。このあたりのことを正確に理解するためには最先端の素粒子物理学の正確な理解が必要なのだが、これがまた難しい・・・。
あと、面白いのは、ニュートリノには左巻きしか存在しないという実験事実だ。電子ニュートリノ・ミューオンニュートリノ・タウオンニュートリノに右巻きが存在しないということは、そこでは「対化=他者性」が生まれていないということを意味している。
つまり、Ψ13~14は「一者性」の温床のような領域になっており、ここで「自己意識は自己で閉じる仕組みを与えられている」と言い換えてもいい。対化としての自己性と他者性の等化の連続的な運動がそこで切断されている。
とりあえず大系観察子のケイブコンパスを使って、標準理論の素粒子群の布置を表してみた(下図参照)。
結構美しい。この構成だと超対称性は次元の交替化(赤と青の相互変換)の意味を持つことになる。
簡単に図を説明しておこう。
フェルミオンは超越論的主観性のシステムを表す。ボゾンはそのシステムを前提として働かされる人間の意識の様々な役割(カント的にいうなら感性・悟性・理性等)に当てることができる。この構成はSU(3)で構成され、それらの統覚(自己意識を「わたし」という主体意識で取りまとめる働き)を電子・電子ニュートリノがとりもつ。
こう考えると、レプトンの残りの2世代は、人間における死後の意識領域ということにでもなるだろうか…。
フェルミオンとはヌースの言葉でいうなら「垂質」の構造体だ。それは垂直的にレイヤー化した持続空間の階層性と言ってもいい。存在の思考が作るカタチの世界である。この思考が再開されるためには、まずは非局所的空間を「前」の中に発見するしかない。それがヌーソロジーが「奥行き」と呼ぶものだと思ってほしい。
7月 10 2019
鏡開きの秘密
Yさんという方から「鏡で見ると、左右は反転するのに、なぜ上下は反転してないのですか?」という質問をいただいた。これは昔からよく取りざたされているスタンダードな質問だ。
鏡についてはゼロ年代始めのレクチャーでもよく取り上げた。
とりあえずYさんには「鏡が反転させているのは前後軸だけで、左右の反転を感じるのは3次元認識のまま鏡の向こうに回り込むから」とだけ返事した(下図上参照)。―下の図で言うと、x-y平面を180度回転させてy軸とy’軸を重ね合わせている。結果、x軸とx’軸の方向(左右方向)が逆になる。
そしたら、「前後方向を揃えて考えたとして、左右が反転して見えるのに、上下は反転しないのはなぜでしょうか?」とのツッコミが・・・。
確かに、この理屈でいくなら上下方向も反転して感じられないとおかしい。少なくとも、下図のような反転関係で見る限り、y-z平面に沿っての回りこみも可能だからだ。このときは上下が反転する。しかし、実際に鏡を見たとき、その感覚はない。なぜなのだろう。
これは心理学的な問題でもあるのだろうけど、心理学的問題ならば、ヌース的には空間構造の問題でもあるはずだ。上下方向とは何か―改めて考え直してる。
その問題はさておき、ここで鏡が一体何を反転させているのかをヌース的に再確認しておこう。
下の図を見ても分かるように、鏡映は空間の向きづけを反転させているのだが、この反転は正確にいうと、前後軸の反転というよりも、本当は視線(奥行き)の方向の逆転として考えないといけない。
つまり、鏡映関係は4次元から見た表と裏だってこと。その意味で、鏡映においては本当は3次元が丸ごと裏返しにされている。
3次元の裏返しというのは外部と内部の反転と言い換えてもいい。
例えば、右手の手袋は裏返しにすれば左手に綺麗に収まる。そのとき手袋の外面と内面は反転してる。もっとも手袋には手を入れる穴が空いてるが、この穴が空いてないバージョンを考えれば、それが4次元から見た3次元の反転ということになる。
自己と他者が対面して見ている世界には、本当はこうした内部と外部の相互反転が起こってる。まずはこうした”空間的現実”に気づかないといけない(下図下参照)。
では、なぜこうした反転関係が今の僕らに見えなくなっているのかというと、人間の無意識の中にこれらの反転対称性を作り出している運動が起きているからと言えるだろう。
この仕組みを素粒子のシステムを通じて明らかにしようとしているのがヌーソロジーだという言い方もできる。
そこには人間とは全く別の意識を持った者たち(人間の反対たち)の世界がある。
反転意識によってその領域へと交差をおこなっていくのがトランスフォーマー。
要は、”鏡開き”の儀式を行う者たちのことだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 素粒子