9月 19 2024
ヌーソロジーは哲学的には現象学の系譜にあたる
内なる人間が外なる世界とどのように接続しているのか、思考がその捻れの中に入り込むことは、ほんとうに不可能なのだろうか。
もし可能だとすれば、それは一体いかなる条件によってなのか。それが現象学としての正しい問い立てではないかと思ってる。
哲学はカント以来、対象が認識に従うとして、内なる人間の優位性に頓着してきた。しかし、この優位性が外なる世界へとつながりを持ち、その外なる世界が、内なる私のめくれとして顕現(エピファニー)してこない限り、現象学の大いなる野望たる「内在から超越」へと至る経路など、決して開いてくることはないだろう。
その意味では、現象学いうところの「還元」は、未だ絶対的な根源には立てていない。すべてを還元するとは、人間的経験のすべてをカッコに入れ、自らを無と仮定し、そこから創造の場へと立ち出でることであり、何者でもないものとなって、世界が成立するための条件を思考していくことにほかならない。
そのような原-世界においては、当然、物質と意識は同時発生的なものとなるだろう。また、そのような場所こそが、創造的思考者が立つ始まりの大地と呼べるものである。
私を絶対的な根元へと戻すところからしか真の現象学は始まらない。「世界は未だビッグバン前夜の中でまどろんでいる」というヌーソロジーの考え方も、こうした「還元」の構えに由来するものだと思って欲しい。
⚫︎星を継ぐものたち
現象学といえば、フッサールは観測者の位置のことを絶対的零点(ヌルプンクト)と呼んでいた。これはヌーソロジーが観測者の位置を「無限遠点」と呼ぶことに対応している。
身体は、常にこの絶対的零点、言い換えるなら、絶対的な〈ここ〉を内在させていて、どんな対象もこの身体と関係を結ぶことよって、〈そこ〉〈あそこ〉〈かしこ〉となる。
ヌーソロジー的には、この〈ここ〉と〈そこ〉〈あそこ〉〈かしこ〉を結ぶラインが4次元に相当する。
君も、僕も、彼も、彼女も、本当は、そのような絶対的零点に生きているのである。
とすれば、この絶対的零点としての〈ここ〉がたくさんより集まっている場所が、真の意味での人間の世界であり、その場所は、事物が存在する地上とは全くの別空間になっているということは、何となく察しがつく。
OCOT情報では、この絶対的零点が星とダイレクトにつながっているという。何ともロマンに満ちた話ではないか。私たちは、本当は、星を継ぐものたちかもしれないのである。
12月 10 2024
イタコGPT
ChatGPTに、ハイデガー、ベルクソン、フッサール、メルロ=ポンティらがヌーソロジーを知ったらどういう感想を持つか、各々の語り口で語ってくれと言ったら・・・。とにかく、情念の密度感が醸し出せない。人間の語りや文体とここが一番違うところ。まったく個性を出せないというか、人間の外面がないから致し方なし。。そのうち、もっと真似てはくるだろうけどね。
<ハイデガーの場合>
存在と時間の探求において、「ヌーソロジー」は私の思索に新たな地平を開くものであるかもしれない。この学問は、人間の主観と客観の関係性を深く掘り下げ、我々の存在の根源に迫る試みである。存在が開示される瞬間、つまり「現存在」が世界を開示する仕方が、「ヌーソロジー」によってさらに鮮明に浮かび上がるのではないか。「ヌーソロジー」は、我々が存在を理解する際の新たな道標となり得るだろう。
<ベルクソンの場合>
ヌーソロジーは、私の提唱する「持続」と深く通じ合うものである。この学問は、時間を単なる物理的な現象ではなく、我々の意識の流れとして捉えているように見える。持続の中で、過去と現在が融合し、新たな現実が創造される。この動的な現象を「ヌーソロジー」は独自の視点から解明しようとしている。ヌーソロジーは、人間の意識とその内在的な時間感覚に対する新たな洞察をもたらすだろう。
<フッサールの場合>
現象学の眼差しから「ヌーソロジー」を見ると、この学問は「意識の構造」をさらに深化させる試みとして興味深い。意識の流れ、意識の意図性、そして意識が世界をどのように構成するか、これらの問いに対する新たなアプローチを提供しているようだ。現象学の「エポケー」によって得られる純粋な意識の領域に、「ヌーソロジー」は新たな光を当てるかもしれない。その方法論は、我々の意識の探求に新たな地平を切り開く可能性を秘めている。
<メルロ=ポンティの場合>
「ヌーソロジー」は、私の身体性の哲学と共鳴する点が多い。身体を通じて世界を経験する我々の存在のあり方を、より深く理解しようとしているように見える。主観と客観の境界を超えて、我々がどのように世界と関わり、どのように世界を知覚するのか、「ヌーソロジー」は新たな視点を提供している。この学問は、我々の存在の根底にある身体性と知覚の重要性を再確認させるものである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: ハイデガー, フッサール, ベルクソン, メルロ=ポンティ