時間と別れるための50の方法(31)

「生命の樹」とヌース理論の関係性(2)
 ということで、さっそく生命の樹を構成している10個のセフィロトにヌース理論の観察子の番号を割り振ってみます。『人神/アドバンスト・エディション』の脚注欄にも示したように、現時点での解釈では、セフィロトは次元観察子というよりもΩという記号で表される大系観察子という一回り大きな観察子に対応しているようです。もちろん、次元観察子と大系観察子はψ7=Ω1というホログラフィックな入れ子関係を持っていますから、ψレベルでの対応も可能ですが、セフィロトの樹自体がカバリストたちが考えているように太陽系と対応しているのであれば、その全体性はヌース的には大系観察子への対応が最も妥当になります。
 下図1にも示したように、ヌース理論では下位のセフィロトから1〜13までの番号を振っていきます(カバラは上位から)。ヌース的な意味を添えて示しておくと(顕在化として)、
Ω1(ψ7)マルクト(物質/人間の外面)
Ω2(ψ8)イエソド(人間の精神/人間の内面)
Ω3(ψ9)ホド(人間の内面の意識/人間の思形)
Ω4(ψ10)ネツァク(人間の外面の意識/人間の感性)
Ω5(ψ11)ティファレト(人間の内面と外面の意識の等化/人間の個体意思・自己の本質)
Ω6(ψ12)ゲブラー(人間の内面と外面の意識の中和/無意識的欲望の備給元)
Ω7(ψ13)ケセド(人間の無意識構造の顕在化/ヒトの内面)
Ω8(ψ14)ダート(人間の無意識構造の相殺/ヒトの外面)
Ω9 コクマー(真実の人間の内面の意識)
Ω10 ビナー(真実の人間の外面の意識)
Ω11 ケテル(△)(真実の人間の内面と外面の意識の等化/人間の個体意思・自己の本質を作る元)
Ω12 ケテル(▽)(真実の人間の内面と外面の意識の中和/無意識的欲望の備給元の元)
Ω13 ケテルの全体性(真実の人間の内面と外面の意識の等化)
Sefi_taikei
 それぞれの大系観察子の働きの意味についてはいずれまた別のところで詳しく説明を行なっていくとして、ここでは現在ヌース理論が生命の樹のどの部分に当たる作業を行なっているのかそのポイントを少しお話しておきます。
 図1にも示しましたが、ルーリアカバラではこの生命の樹の全体性を、ケテル、ダート、ティファレト、イエソドという各セフィロトを中心にした4つの円で区切り、アツィルト、ベリアー、イェッツェラー、アッシャーという4つの世界を設けます。前回紹介した「シェビーラース・ハ=ケリーム(器の破壊)」とは、この四つの世界のうちのイェツェラー界が粉砕されてしまうことを言います。図からも分るように、イェツェラー界が破壊されてしまうということは、ベリアーにおけるダート、ケセド、ゲブラー、ティファレトも機能しなくなりますし、アッシャー界におけるティフアレト、ネツァク、ホド、イエソドまでもが被害を被り、唯一遺されるのはケテル、コクマー、ビナーの上位の三つと、最も下位に属するマルクトだけになってしまいます。
 ルーリアの「シェビーラース・ハ=ケリーム(器の破壊)」によれば、10個のセフィロトのうち7個が破壊され3つが遺るというストーリー立てになっているのですが、ヌース理論の観察子構造で見ていくと、このようにダートを含めた11個(一般的にカバラではダートはセフィロトとしては数えられません)のうちのイェッエラーを構成する7個が破壊され、4個が遺されると考えた方がどうも自然に感じられます。このとき遺される4つのセフィロトとは、確認すればすぐに分るように、ケテル、ビナー、コクマーの上位三つと、最も下位のマルクトです。マルクトが遺される理由はおそらく「ツィムツーム(神の自己収縮)」にあるのでしょう。「ツィムツーム(神の自己収縮)」とは前回も少し説明したように、神が創造した被造物の場所のことです。
 マルクトはカバラでは物質世界に当たり、ケテルに座する神にとってその花嫁とも呼ばれる存在とされています。ケテルへと達した一者がこの生命の樹の全体性をツィムツームによってホログラフィックにマルクトに射影する………ヌース理論がいつも言っているように、精神構造の全体性が物質構造としてこの時空世界に映し出されてくるというこうした仕組みを、ルーリアはツィムツームと呼んだのではないかと想像されるわけです。とすれば、最も上位のケテルと最も下位のマルクトは、ちょうどトランプゲームの「七並べ」で13から1に繋がるように、互いに結合し合っていることになります。ケテルの玉座に存在する神は一者であるがゆえに「万有の無」と言ってよいものでしょう。そして、マルクトはその「万有の無」が射影されているという意味において、万有が外された「無」の世界となります。ただし、そこにはアダムが一者へと達する過程で獲得した神の属性たるセフィラーが破壊された破片として蠢いています。それが物質です。ルーリアはこうした砕けた破片をケリーム(殻/魔術的カバリストたちがクリフォトと呼ぶもの)と呼んで、汚れた悪の世界が生まれた原因だと考えました。
 こうしたルーリアの思想が16世紀という近代の始まりに出現してきたというのは、何とも興味深いことです。皆さんもご存知のように近代以降、人間はその理性的側面を肥大化させていき、科学万能の物質主義的な世界観を絶対とする価値観を育て上げてきました。こうした意識の在り方は,生命の樹で言えば、意識がすべてマルクトの内部で閉じ込められていることと同じ意味を持っていることが分ります。マルクトの内部世界は仏教が言うようにマーヤの世界であり、そこに世界を生成させている本質力は何もない、ということになります。カバラの世界観においては単なる物質からは生命など生まれようがないのです。 ——つづく