ヌース用語としての「等化」と「中和」のイメージ………1

ヌーソロジーでは等化と中和という概念がとても重要な役割を果たします。これらは簡単にいえば、「統合する能動力」と「統合される受動力」のようなものです。たとえば人は自分の中に「わたし」という意識の統合体を感じ取っています。

しかし、人はこの「わたし」の由来を知りません。こうした「わたし」は「わたし」として統合された受動的な存在ですから、中和の状態にあると考えることができます。

では、この「わたし」を一つの自我へと統合した存在とは一体何ものなのでしょう。それが等化側の力だということになります。

この等化側の力は一般に無意識と呼ばれているものと考えて構いませんが、OCOT情報はズバリ「精神」と呼んでいます。そして、その反対物である中和側の力のことを「付帯質」と名づけています。俗にいう真我と自我の関係のようなものです。

付帯質というのは精神が存在するところに必ず寄り添う影の力のようなものだと考えておけばいいでしょう。さらに、これら精神と付帯質の関係は常にカップルとして存在するものなので、「対に分かれる」という意味で対化とも呼ばれています。

さて、精神は常に対立する二つの力を等化する本能のようなものを持っています。ですから、自分自身と付帯質の関係をも等化したいという欲動を持っています。ここでいう等化は「付帯質を精神に変換していく」ことを意味します。

今まで受動的なものとして働いていた力を能動的なものへと変えていくということです。こうしたメタな等化の働きのことをOCOT情報は「進化の精神」と呼んでいます。2013年以降、始まっているのは、この進化の精神の発出です。付帯質の精神への変換が始まり出したということです。

これは中和側である自我から見れば、今まで潜在的なものとして働いていた無意識の主体が意識化されていくことを意味しますが、これだけだと、従来のポスト構造主義的な思考とあまり変わりがありません。重要なことは、この無意識の意識化が「空間認識の変容」として生起してくるということなのです。

つづきはまた次回。

※下の写真はSaturn’s hexagonと呼ばれるものです。土星とは上に書いた中和の力の本質だとOCOT情報は言います。ヘクサゴンのかたちもまた同じ。中和は人間においては「空虚な時間の形式」として出現してきます。自我とはこの時間の形式としてあらわれていると考えなくてはなりません。意識への時間の表出は精神の力が相殺されていることを意味します。

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