7月 6 2025
宇宙は膨張している。しかし、その膨張は、単なる物理的事象なのだろうか?もっと根源的に、私たちの意識との関連で考えるべきではないか。この膨張という現象は、実は私たちの意識そのものに密接に絡んでいるのではないか。
普段、私たちは宇宙を「外に広がるもの」として捉えている。この認識は、実は他者の視点に基づいている。つまり、私たちは宇宙の広がりを外延的に見ているのだが、それは本当に「外」にあるものなのか?
ヌーソロジーの視点からすれば、私たちが外に見ている宇宙は、他者の視点で見ている宇宙に過ぎない。他者の視点では、奥行きは延長として見え、自己がそれを「外」として認識する時点で、他者のフィルターを通しているのだ。そのフィルターこそ、他者の内包空間、つまり物質の内部であり、自己はその中に閉じ込められていると言ってもいい。
要するに、物質とは、自己が他者の内包空間を「外のもの」として誤認することで現れる存在なのだ。ドゥルーズ風に言えば、それは「他者-構造」に取り込まれた意識の結果でもある。
だが、ここに逆説がある。もし他者の内包空間が自己にとって外延に現れているなら、その内包空間を自己の視点へ引き戻す力も働いていていいはずだ。この力こそが宇宙の膨張を引き起こしているのではないだろうか?
宇宙の膨張とは、他者視点に落ち込んだ自己の空間を、内包的な視点に回復させようとする「意識の転回」による力学だ。宇宙の膨張とは、自己の内包的な欲望が、他者という外延のフィルターを越えて内へ戻ろうとする運動なのである。 ドゥルーズ風に言うなら、差異は常に生成し続け、自己と他者の間で転回し続ける。膨張する宇宙は、自己が内包性に戻ろうとするその動きの一環とも言える。他者の外延を吸収し、自分自身の内へと向かう光の欲望でもある。
ここで、宇宙定数Λ>0に目を向けると、それは外延の広がりを表す力ではなく、意識を内包空間へと戻そうとする内向きの圧力として理解される。Λ>0は他者視点から見た宇宙の外延的な拡がりΛ<0(これがAdSに当たる)に対する反作用として働き、意識を内包的に戻そうとする力として機能している。 結局のところ、結論は次のようになる——宇宙の膨張とは、〈他者-構造〉に閉じ込められた意識が、自己の内包空間へと帰還しようとする反発の身振りである。無限に広がって行こうとする宇宙は、自己が本来の内包的視点を取り戻そうとするその欲動を表現しているのだ。 最終的には、意識が内包の視点へと立ち戻り、真の外延を奪回するときが訪れるだろう。そのときに現れるもの——それが、いかなる偏りもないΛ=0が示す内なる外の宇宙であり、大自然はそこで、大いなる調和のもとに存在の詩を高らかに歌い上げている。 ※下写真は以下のサイトから借用しました。https://wired.jp/.../the-james-webb-space-telescope-photo/
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: Ads
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
7月 6 2025
なぜ宇宙は膨張しているのか
宇宙は膨張している。しかし、その膨張は、単なる物理的事象なのだろうか?もっと根源的に、私たちの意識との関連で考えるべきではないか。この膨張という現象は、実は私たちの意識そのものに密接に絡んでいるのではないか。
普段、私たちは宇宙を「外に広がるもの」として捉えている。この認識は、実は他者の視点に基づいている。つまり、私たちは宇宙の広がりを外延的に見ているのだが、それは本当に「外」にあるものなのか?
ヌーソロジーの視点からすれば、私たちが外に見ている宇宙は、他者の視点で見ている宇宙に過ぎない。他者の視点では、奥行きは延長として見え、自己がそれを「外」として認識する時点で、他者のフィルターを通しているのだ。そのフィルターこそ、他者の内包空間、つまり物質の内部であり、自己はその中に閉じ込められていると言ってもいい。
要するに、物質とは、自己が他者の内包空間を「外のもの」として誤認することで現れる存在なのだ。ドゥルーズ風に言えば、それは「他者-構造」に取り込まれた意識の結果でもある。
だが、ここに逆説がある。もし他者の内包空間が自己にとって外延に現れているなら、その内包空間を自己の視点へ引き戻す力も働いていていいはずだ。この力こそが宇宙の膨張を引き起こしているのではないだろうか?
宇宙の膨張とは、他者視点に落ち込んだ自己の空間を、内包的な視点に回復させようとする「意識の転回」による力学だ。宇宙の膨張とは、自己の内包的な欲望が、他者という外延のフィルターを越えて内へ戻ろうとする運動なのである。
ドゥルーズ風に言うなら、差異は常に生成し続け、自己と他者の間で転回し続ける。膨張する宇宙は、自己が内包性に戻ろうとするその動きの一環とも言える。他者の外延を吸収し、自分自身の内へと向かう光の欲望でもある。
ここで、宇宙定数Λ>0に目を向けると、それは外延の広がりを表す力ではなく、意識を内包空間へと戻そうとする内向きの圧力として理解される。Λ>0は他者視点から見た宇宙の外延的な拡がりΛ<0(これがAdSに当たる)に対する反作用として働き、意識を内包的に戻そうとする力として機能している。 結局のところ、結論は次のようになる——宇宙の膨張とは、〈他者-構造〉に閉じ込められた意識が、自己の内包空間へと帰還しようとする反発の身振りである。無限に広がって行こうとする宇宙は、自己が本来の内包的視点を取り戻そうとするその欲動を表現しているのだ。 最終的には、意識が内包の視点へと立ち戻り、真の外延を奪回するときが訪れるだろう。そのときに現れるもの——それが、いかなる偏りもないΛ=0が示す内なる外の宇宙であり、大自然はそこで、大いなる調和のもとに存在の詩を高らかに歌い上げている。 ※下写真は以下のサイトから借用しました。https://wired.jp/.../the-james-webb-space-telescope-photo/
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