複素数の目覚め

最近発展してきた量子解釈に関するモデルで、量子ベイズ主義というのがある。量子ベイズ主義は波動関数を物理的実在としては見ない。個人の主観的な心の状態を表しているものと見る。素粒子を主観空間(無意識の主体)の構造として分析しているヌーソロジーにとって、これはとても歓迎すべき傾向。
 
客観をベースに世界を想定する時代はいずれにしろ終わりに近づいている。僕らが実在世界と呼んでいるものは共有された幻想のようなものだ。現実と幻想は決して対立するものではなく、幻想の中に部分として現実が含まれている。複素数の中に実数が含まれるように。時代は徐々にその方向へと動いている。
 
現実を部分として含んだ幻想—言い換えれば、外在は内在の一部でしかないということ。この方向に従属関係を変えること。それが内在野を開く、ということでもある。
 
内在野の形式は当然、複素空間の形式を持つことになるだろう。それによって、僕らの思考は物質と直接結びつくことになる。思考と「物自体」との初めての接触だ。これによって、世界と自分を分離させて見ることができない新しい生の主体というものが生まれてくる。
 
この新しい生の主体へと重心を寄せていくこと。そうすれば、僕らは自然自体の中に入って行けるかもしれない。「ある」感覚と「いる」感覚が客観と主観の印象だとすれば、「ある」感覚をすべて消し去ったところに生じてくる純粋な「いる」感覚。それが「なる」感覚の始まりと言えるだろう。
 
そのとき、複素数は目覚め、僕らは事物の中に住むようになる。

日経サイエンス