4月 26 2019
ヌーソロジーの世界観の基本
奥行きを相互外在的な関係からなる物理的空間と同列に並べることはできない。その意味でも奥行きは内在=持続の場所である。ヒュームの言葉を借りるなら、奥行きこそが人間本性(human nature)の場なのだ。奥行きは幅化した奥行きと協働し感性を作り、印象の束を一つの主体へと仕立て上げていく。
感性に始まり、悟性、理性、構想力という、あのお馴染みの「超越論的なもの」の活動する世界が、この奥行きの奥裏に広がっているということだ。ここに本当の意味での人間的自然が展開されている。この自然のことをブーバーや西田なら「永遠の我と汝」と呼ぶことだろう。
この永遠の我と汝の活動が産み出す超越論的なものが、人間の経験の可能性の条件の一切を与えていると言っても過言ではない。物理的な自然に現れる「自己」や「他者」といった存在は、その結果の産物のようなものであり、世界とはすべてがそうした結果の中で展開しているドラマのようなものである。
ブーバーは「我-それ」と「我-汝」を、宇宙の根底的な二元性と見なしたが、私たちが生活の中で味わうすべての精神的苦痛は、世界が「我-それ」の基軸の方にあまりにも傾いて動いているからだ。それ以外に理由はない。「我-それ」は物理的自然を、「我-汝」は精神的自然をそれぞれ意味している。
人間は精神的自然を忘れてしまった。だから、精神的自然と物理的自然とのつながりも全くイメージすることができなくなっている。精神と経験科学を結びつけるための絶対的な絆が必要だ。ヌーソロジーが奥行きを通して素粒子を思考していることの意義もここにある。
と、このあたりで固い哲学用語は抜きにして、この精神的自然というヤツと物理的自然というヤツの関係を、ヌーソロジーのフィルターを通して図に示してみよう。これは、ヌーソロジーの世界観の基本と言っていいものになる(下図参照)。
極めて簡略化した図なので、材料が足りないかもしれないが、ヌーソロジーに関心がある方はゆっくり考えてみて下さい。尚、Φ13~14は他者側ではΦ*14~13の関係になります。
この図で、総体の定質の対化と性質の対化が等化を行っている状態が「光」です。
定質の等化が電場振動、性質の等化が磁場振動。
「光」はその意味で、人間の肉体を作り上げている精神とも言えます。
OCOT情報は光のことを「総体における止核精神」と呼んでますね。
光は精神の中間休止状態とも言えます。
光が幅方向から奥行き方向に向いたとき(反転の意味です)、止核精神は止核化を解除し、素粒子空間にアクセスして世界内部空間(この図に描いたウロボロス的円環の世界)に入っていくというストーリーになっています。
ヌーソロジーもそのシナリオに沿って思考を進めています。
5月 22 2019
物自体と言葉自体
物自体という言葉はよく聞くけど、言葉自体という言葉はあまり聞かない。これも哲学の思考が自他空間の差異をあまり意識していないからだろう。私が物自体に触れるとき、「私にとっての他者」は言葉自体に触れている。フィシスとロゴスの関係とはそういうもののように感じる。
万物は死滅寸前だ。万物の復興のために僕らは万物を存在の諸器官として再生させる必要がある。そのためには科学的知識に神秘的知識を流し込むこと。形式には内容をというわけだ。同時に神秘的知識が現実を獲得するためには科学的知識との合流がなければ無理。内容には形式が必要。
この合流を阻止しているのが、人間における平板的な空間の受容。すなわち幅(延長)の支配だ。これはヌーソロジーの文脈から見ると、言語の支配とほぼ同じ意味。人間がフィシスを通過することなくロゴス一辺倒に染まることは、世界を死滅させることに同じ。
ブーバー思想との絡みでいうなら、言葉は基本的に〈我―それ〉の地平でしか働いていないのだ。唯一の例外は詩や文学の言葉だろう。詩の言葉は人間を生成へと向かわせるもの。つまり、〈我―汝〉の性愛へと向けられている。つまり、フィシスの受胎を促す生殖の言葉だ。
高度な数学言語もまた詩的言語に近いものを感じる。しかし、高度な数学はもはや言語というよりも造形の幾何学だ。この幾何学が詩の言葉を紡ぎ出している感覚がある。複素空間、四元数空間、位相幾何学、群論、微分幾何学etc……。いずれも素粒子の組織化に深く関わっている。
一般相対論はよく理解できていないけど、時空と重力場を直接関係づけることは、さっきの言い方をするなら、人間の思考がフィシス(内的生成)を通過することなく、直接的に、ロゴスの生成場を延長の中で記述している様子に見える。OCOT情報に拠れば、質量の本質とはロゴスを生成する精神の力のことだ。
時空は無同然の場所なのだが、そこには神霊が「言葉自体」として重なり合っているイメージだ。
この見えない神霊に時空の中でがんじがらめにされているのが、人間の理性と言えるのではないか。〈我―それ〉の世界とは、その意味で、巨大なクモの巣でもある。
※下写真「ヌーメン / フォー ユース」による「String Prototype(ストリング・プロトタイプ)」という作品。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 素粒子