8月 16 2019
4次元意識に見えてくるもの
4次元空間から見ると物の内部と外部は捻れているように見える。つまり、そこには内も外もなく、3次元空間でのマクロ方向とミクロ方向は等化されている。問題はそのような空間の状態が何を意味するのかなのだが、これは表相(物の見え)が見ているものと一致した空間のことだと考えるといいと思う。言い換えるなら、この捻れを決して対象のようにして捉えてはならない、ということ。
4次元空間とは真の奥行き(持続空間)で物を見ているときの空間のことであり、これは別の言い方をするなら、物の表面(=表相)に無限遠点としての観察位置がそのまま射影されている状態とも言える。「見られているものはわたし自身だったんだ!」という主客一体の気づきの感覚もこうした空間のからくりが起こしているものだと考えるといい。
そういう空間で物が回るという状況を考えてみよう。
これは、表相が次々に無数の他者の無限遠点を交差していっている状況とも言える。そのときの物の表面を考えるなら、それはもはや2次元の球面なんかではなく、対極点同士が全て繋がったような形になってることが想像できるはずだ(無限遠点の射影なのだから)。
このとき、物そのものは数学でいう「3次元球面」というカタチを形成している。3次元の端と端が無限遠で繋がっていて、前後、左右、上下、どの方向に向かおうが元の原点に戻ってくるような形を考えればいい。
主体と客体が分離しているときは、物は3次元の球体に見えるが、主客が分離していないときは、物は3次元球面という形を持っている。このカタチのことをヌーソロジーでは「球精神」と呼んでいる。
球精神上を取り巻く大円は、下図に描いたように、どの大円を取ろうとも一回転捻れのメビウスの帯のようなカタチをしている。
下の図で点Sを自己の表相、点S*を他者の表相とすると、球精神上では半回転でSはS*の位置側に回り込むことができるのが分かる。
自分が見ている物をグルっと回して相手に見せるときの状況だ。
「ここに日本があるでしょ」と言って、地球儀を回し、相手に見せる。そういう状況のことだ。
「そうだね、これが日本だね」と相手は答え、自分が見た日本と相手が見た日本とを地球儀の上で同一視する。
ここで何が起こっているかじっくり考えることをオススメする。
僕らは結果としての3次元でしか物を見てないので、ただ地球儀を回しているだけのように思えるが、事実は違う。
―物が4次元空間で自他相互の空間を等化しているのだ。
こうした状況をヌーソロジーでは「表相の等化」と呼んでいる。
4次元空間上を地球儀が周り、本来、内と外が捻れていた自他世界であるにもかかわらず、SとS*を同一視させることによって、そこにツルツルとした捻れのない表面の2次元球面を出現させ、もともと3次元球面だった主客一体としての地球儀を単なる3次元球体という対象へと化けさせる・・・そこに生まれてくるのが僕らにおなじみの時間と空間というものなのだ。
時間と空間がなければ人間は物を物として認識できない。だから物は必ず時間と空間を伴って現れる。しかし、物自体は時間と空間の中には存在してはいない。つまり、物自体は時間と空間の中に自分自身を物として見せるや否や物の中へと隠れるのだ。
その身の隠し方が、ここで紹介している3次元球面から3次元球体へのトポロジー変化だと考えるといい。
4次元と3次元の間でリズミカルな呼吸を続けている物自体の空間。この空間には内部と外部の区別はなく、そこでは人間の生は死の中へと溶け込み、死の中から再び新しい生を出現させてくるようにして物質を出現させている。
このルートをまずは認識に上げよう。ほんとうの共同体を見出すために。





9月 11 2019
電子の二重スリット実験についてのヌーソロジー的見解
意識物理学研究所の佐藤氏からの提案で「ヌース物理部」なるものが活動を開始している。
(ぬーす・ぶ・つ・り・ぶ………いかにも佐藤氏らしい命名 笑)
参加者は佐藤氏、砂子氏、船木氏と僕を含めた4名。僕以外はいずれも物理学の猛者たちだ。(果たしてついていけるのだろうか?)
そこで、ヌーソロジーからの意見をしっかりと言えるように、量子の基本的なところから自分なりに整理し始めた。
まずは、量子の粒子性と波動性。ボーアが相補性と名付けた量子独特の存在様式について簡単にまとめてツイッターでつぶやいた。
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電子の二重スリット実験。
素粒子は観察されるものではなくて、観察させているもの。
観察させているものを対象として考えるからワケが分からなくなる。
ここが発射位置だよね。
ここにスリットが二つあるよね。
観測者にそのように認識させている力が下図のような波紋を作っていると思えばいい。
●電子の二重スリット実験に対するヌース的解釈の補足。
1.電子を波だと考えて観測を行うと、波の性質は消え、粒子として観測される。これはなぜか。
観測とは対象化=実数化のことでもあり、位置認識を瞬間性として時空に落とすことを意味する。時空に落とせば、持続空間側の支え(波)は排除される。
2.粒子概念は点のイメージだか、では量子が持つ波動性とは何なのか。
その点位置を意識に与えている持続空間(精神)が時空的に表現されたもの。
3.なぜ、この波動性は確率を意味するように見えてしまうのか(量子力学では波動関数は確率波の意味合いを持つとされる)。
点位置が周縁からの観察(円)によって支えられているものだという認識がわたしたちにないから。
4.観測が行われると、粒子が発見された場所以外では波の痕跡を見つけることができないのはなぜか。
観測者が位置認識を持続状態から、時空の一点に落としたから。
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ヌーソロジーの量子に対する基本的な考え方がこれで何となく分かってもらえるのではないだろうか。
物理学者が「量子とは何か」という問いにアプローチするとき、そこで物理学者たちが前提としている概念の成り立ちをヌーソロジーは問うている。つまり、位置なら位置、観測なら観測という概念を成り立たせているものとは何かについて考えている、ということ。
言い換えるなら、世界には、世界が人間の前にいかに開示されているかを規定している、「何らかの先行する非時空的なアプリオリ」があり、量子はその構造自体を示しているということだ。
これが素粒子全体のシステムとしては人間の無意識構造に結びつき、観察子概念を規定する構造にもなっている(と考えるのがヌーソロジーの基本)。
ヌース物理部の活動はかなり専門的なところまで、量子力学と意識の関係を掘り下げられるのではないかと期待している。
いずれ、活動結果を一冊の本に仕上げられるといいなぁ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 二重スリット実験, 素粒子