10月 1 2018
時間と空間と複素平面の重なり方―
【重要】自己の持続空間(複素平面で表示)と、通常の時間と空間の関係を図にしてみた(下・上図)
幅化した奥行きには二つの方向があり、手前方向に向いたベクトルが人間の内面(物質・言語空間)を作り、奥行き方向にそのまま重なり合い向いたベクトルの方向が感性(知覚空間)を作る。知覚空間(感性)の方は、そのまま奥行き(持続空間)に関与しているのが分かる。これはそのまま知覚が持続(記憶)を含みもっていることを意味している。
おそらく、多くの人は他者側に自分の視線を重ね合わせようとするとき、そのまま、自分の身体を他者の位置に回り込ませることでそれができると思っているが、それ自体が人間の内面の意識であるということを図から確認してほしい。
図では同じ空間に自他の身体を描き込んでいるが、両者の空間は互いに反転していて、実は同一の空間には存在していない。思形と感性を生み出すために複素平面(無意識:持続空間)は虚軸と実軸を捻って等化させている。この捩れに意識的になることが必要。
ここで「通常の時間と空間」と書いたのは、地上的時間と空間という意味だ。近代以前の時空感覚と言ってもいいし、科学的な知識を持たない人たちの時空感覚と言ってもいい。近代以降は地動説の登場でも分かるように、人間の内的視線が上空から介入してくる。これは、無意識が自他の通常の時間軸さえも等化したことを意味している(実は自他の間では思形と感性の関係も反転しているのだが、それについてはいずれ)。
地上的時間では、時間は左右方向に流れている。この時間は大地に沿った時間であり、必然的に円環的なものとなる。太陽や星々が空を横切ることがそのまま時間として表象されるわけだ。これは地球の自転と当然関係を持つ。地球の自転自体が「思形の起源=精神が精神を交差する位置」を意味している。
当然、上から入射してくる宇宙的な俯瞰的視線は科学的時間となって現れてくる。これが時間の直線化をもたらす。人間の精神とはもはやまったく関係性を持たなくなった時間、単なるものさしのような、唯物論の時間だ。時間の死骸と言っていい。ありもしない時間とも言える。
ついでに、最初に書いた無意識による奥行きと幅の等化(捻り)の仕組みを図示しておこう(下・下図)。行列でいうと、これはパウリ行列のσ1行列に当たる。虚軸と実軸のこの相互変換は、内部(前)と外部(後ろ)の変換と同じ。物の内部で働いている持続を共同持続化させて外=延長に出している。それが地上的時間。
空間に沈み込んでいる精神構造を意識に上げることは、自己意識の成り立ちをそれこそ「自覚」していく上で絶対に必要不可欠な要素だ。それを用意するために登場してきたのが現代物理学だと考えよう。この方向に物理的知識を変容させることが、これからの時代は必要だ。
※不動空間が複素空間






10月 2 2018
人間の内面の空間と感性空間の関係を分かりやすく図にしてみた件
「空間は3次元」と言われたとき、君はその3次元の広がりをどのようにイメージするだろうか。もし、目の前にある物をそのまま膨らませるようなイメージで3次元空間をイメージするなら、それは人間の内面の3次元であり、そうした空間認識は自我性を強くすると考えるといい(下図1)。
この矢印の方向が重要。この3次元はこのリンゴを見ている自分の顔面に向かってきてるよね。この顔面が位置する面に対して「内面」と名付けていると思うといいよ。
となると、人間の外面方向に向けられた3次元空間というものがあることも分かる。イメージとしてはコレがソレ(下図2)。3次元が反転しているのが分かるよね。これが「感性」が働いている空間で、この空間が「人間の外面(奥行きとしての持続空間)」に関与している。つまり、主観的空間だということ。
通常、3次元空間のこうした向きづけの違い(右手系か左手系か)は問題にされないのだけど、自他空間の相互反転性が見えてくると、とても重要な問題になってくる。人間の3次元認識というものがいかに暴力的で、正しい世界の見方を阻害している一大要因になっているかが分かってくる。空間に対するそういう盲目的状態を「付帯質の中和」って呼んでいると思うといいよ。自他が物質的同一性を持った空間の中に単なる肉体として投げ込まれているってこと。
物体1個の周囲の空間はヌーソロジーでは次元観察子ψ3~4と定義されるので、今の二つの図が示している空間の位置をケイブコンパスで示すと、次のようになるね(下図3)。最初のやつが思形による物質空間への関与。後のやつが感性による持続空間への関与。言語(物質)空間と知覚空間の違いと言ってもいい。
ケイブコンパスで示したレッドの領域はいずれも幅の空間なんだけど、人間の内面であるψ4と、人間の外面ψ3を交差する感性の空間の違いは、哲学的に言うなら、「被投的空間」と「志向的空間」の違いのようなものになる。どちらも体験されている空間には違いないけど、頽落的か現存在的かということだね。
ちなみに、科学的な表象空間と言うか、物理学の土台となる時空間は、ここで示したψ9~10の領域には存在しておらず、思形と感性が相互変換行うψ11~12の領域登場してくる。つまり、ヌーソロジーでは、知覚の空間、世俗的空間、科学的空間というのものを、すべて質が違う空間として考えるんだね。
で、一番大事な空間は僕らにまだ一切、知覚されていない持続空間で、これがブルーで示されている領域だと考えるといい。人間の意識は絶えず中和(レッド)側が先行し、ブルーの領域が見えていない。ほんとは、ブルー側が精神そのものなんだけどね。
空間に対する見方をゆっくりでもいいから変えていくこと。本来の空間は僕らが今常識にしているものとはまったく違うもの。それが見えていないので人間の文明は生命の力をどんどん衰退させる方向に進んでいっている。空間に対するゲシュタルト変革を開始しよう。後の世代のためにも。
ちなみにOCOT情報が「人間」についてどう語ったか―。
見えないものに関与されている力。
次元が見えないもの。
精神を方向に持たないもの。
付帯質に変換されているもの。
次元が交差していないもの。
形質に操作されるもの。
確実な次元を持たないもの。
この抽象度の高さがたまらんね。
ここにある「見えないもの」というのが時間性のことで、これが人間の意識を付帯質(物質)の世界に閉じ込めている。奥行きに純粋持続を見出し、そこから空間を変質させていくことが「精神に方向を持つもの」の意になる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, ケイブコンパス, 付帯質