2月 23 2026
ヌーソロジーが言う「自己視点」
ヌーソロジーが言う「自己視点」、分かりやすく説明しておくね。
ふつう僕らは、「自分の目で世界を見ている」と思っている。けれど、この“目”は自分では見えない。実はそれって、他者視点から見て「目」と呼んでいるだけ。
だから、「目で外を見ている」と思った瞬間、もう自己視点は失われている。その世界は、いわば「外から見た世界」であって、ヌーソロジーではこれを他者視点と呼ぶ。学校で習う知識は、ほとんどがこの他者視点の世界の知識だと思っていい。
一方、自己視点はもっと内側の感覚。世界を対象として切り離す前、「自分と世界とつながっている感覚そのもの」から物事を見ている状態のこと。
たとえば――音楽や景色に没頭して、時間や場所の感覚が消えているときとか、「自分が見ている」というより、「世界が自分を通して現れている」と感じるとき
これらが、ヌーソロジーの言う自己視点。




3月 5 2026
オーバー・ザ・ドリーム―夢の進化としての現実
私たちはふつう、夢と現実を対立させて語る。
夢は儚く、現実は確かであると。
けれど、ヌーソロジー的な眼差しに立てば、この二つは敵対してはいない。
むしろ、ひとつの連続する生成の道程にすぎない。
夢は、内包的な生成の自由空間だ。
そこでは外延的制約がゆるく、持続の流れがそのまま像となって現れる。
重力も時間も、まだ硬くは固まっていない。
思念は即座に形をとり、場所は瞬きのあいだに変わる。
現実は、その夢が一歩進化した姿だ。
内包的生成は今や、他者視点の外延構造と深く結びつき、
物理的な時空の秩序をまとっている。
因果律は川の流れのように世界を束ね、
物体は重みを持ち、出来事は不可逆な連鎖として並んでいく。
しかし、両者の根は同じだ。
現実は夢の外延化による進化形態であり、
夢は現実の内奥に潜む源泉的な生成性を秘めている。
それを知れば、現実は単なる固定された世界ではなく、
今もなお夢を孕み続ける「質量ある夢」として息づいていることがわかる。
私たちが現実と呼ぶものは、
夢から外延へと至る長い生成の途上にある一つの層にすぎない。
その奥には、まだ見ぬ内在性の深みが広がっている。
そこへ視線を向けるとき、
現実は変わらぬ日常でありながら、
同時に果てしない夢の続きとなるのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0