10月 17 2025
存在の摂理
私たちが「世界を見ている」とき、実はその“見る”という行為自体が、すでに生成の方向性と時間の持続性を作り出し、他者の眼差しとの交差点で、物質という出来事を生成させている——まさに結び(産霊)だ。
それは外にあるのではなく、意識の中の、しかも最も深い根の部分で起きている現象だ。だからこそ、ヌーソロジーは言う。
 世界は、外にあるのではない。自分と他者の交差の中で、互いの深みにある意識の共振が“世界”を創っているのだ、と。
 「明しえぬ共同体」の謎もここにある。しかし、今はそれが裂け目としての”物質”になっている。視点が入れ替わっているからだ。
——一方では引き裂き、
 ——一方では結ぶ。
それが存在の摂理であるということを思い出そう。


 
  
  
 

10月 18 2025
まもなく浮上してくると思われる、新たな自己と他者の関係性
知覚は主観空間、言語は客観空間と何度も言ってきた。
それに倣って、ここでは知覚を自己、言語を他者と置いてみよう。
物を見る——物は知覚と言語によって認識できている。このことに誰も異論はないだろう。
だとすれば・・・
物一つの認識さえも、そこには自己と他者が手を取り合っていることが分かる。
それを数学で表したものが波動関数ψだったとしたら、どうだろう?
まもなく浮上してくると思われる、
新たな自己と他者の関係がどんなものなのか、
ぼんやりとだけど、見えてこないかい?
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0