11月 25 2025
私たちは今、この瞬間にこそ、言葉を通して世界を見ているという「慣れ親しんだ知覚の構図」を、静かに、しかし確かな決意をもって、反転させなければならない。 もはや、言葉で世界を“意味づける”ことではなく、空間そのものが、私たちの知覚を通じて“語りはじめる”ことが求められている。この反転の地点こそが、ヌーソロジーが名づけるところの「空間構文」の領域というものである。
この空間構文は、哲学が長きにわたり模索してきた「超越論的意識」と深く共鳴している。カントやフッサール、メルロ=ポンティが言う「経験以前の条件」──すなわち、意識が世界を経験するための“場”や“地盤”を探ってきた営みと、空間構文はほとんど同じ射程にある。 しかし、ヌーソロジーの空間構文には、哲学的超越論とは根本的に異なる特徴がある。それは、言語と知覚の関係を、単なる主体-対象の関係として捉えるのではなく、自己と他者という二重の内在構造として再編成し、その関係そのものを“空間的な幾何学”として記述していこうとする姿勢だ。
つまり、空間構文とは、「世界が今のようにある」以前に──私たちが“どこにいて”、誰の“中”に存在しており、その空間がどのように折り重なり、どのようにして差異を保持し、他者と交差しているのかを、純粋な構文として浮かび上がらせるための建築行為なのである。 しかも、ヌーソロジーはこの幾何学的な空間構文に、さらに物質の“火”を注ぎ込む。それは、この空間構文の幾何に、素粒子構造──つまり、クォーク、レプトン、ゲージ対称性といった物理的基底の秩序を重ね合わせていくことで、空間そのものに発火(ignition)や発振(oscillation)を起こさせる、というものだ。
そのとき、空間はもはや“背景”ではなくなる。言葉の舞台ではなく、言葉の“発生源”となる。そして私たちが生きるこの世界は、語りうるものではなく、“語り出すもの”そのものになるだろう。
空間が語り—— 空間が歌い—— 空間が踊る——
世界とは本来、そのようなものでなければいけない。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: カント, クォーク, ゲージ対称性, フッサール, メルロ=ポンティ, レプトン, 空間構文
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
11月 25 2025
語りの主体は空間へと・・・
私たちは今、この瞬間にこそ、言葉を通して世界を見ているという「慣れ親しんだ知覚の構図」を、静かに、しかし確かな決意をもって、反転させなければならない。
もはや、言葉で世界を“意味づける”ことではなく、空間そのものが、私たちの知覚を通じて“語りはじめる”ことが求められている。この反転の地点こそが、ヌーソロジーが名づけるところの「空間構文」の領域というものである。
この空間構文は、哲学が長きにわたり模索してきた「超越論的意識」と深く共鳴している。カントやフッサール、メルロ=ポンティが言う「経験以前の条件」──すなわち、意識が世界を経験するための“場”や“地盤”を探ってきた営みと、空間構文はほとんど同じ射程にある。
しかし、ヌーソロジーの空間構文には、哲学的超越論とは根本的に異なる特徴がある。それは、言語と知覚の関係を、単なる主体-対象の関係として捉えるのではなく、自己と他者という二重の内在構造として再編成し、その関係そのものを“空間的な幾何学”として記述していこうとする姿勢だ。
つまり、空間構文とは、「世界が今のようにある」以前に──私たちが“どこにいて”、誰の“中”に存在しており、その空間がどのように折り重なり、どのようにして差異を保持し、他者と交差しているのかを、純粋な構文として浮かび上がらせるための建築行為なのである。
しかも、ヌーソロジーはこの幾何学的な空間構文に、さらに物質の“火”を注ぎ込む。それは、この空間構文の幾何に、素粒子構造──つまり、クォーク、レプトン、ゲージ対称性といった物理的基底の秩序を重ね合わせていくことで、空間そのものに発火(ignition)や発振(oscillation)を起こさせる、というものだ。
そのとき、空間はもはや“背景”ではなくなる。言葉の舞台ではなく、言葉の“発生源”となる。そして私たちが生きるこの世界は、語りうるものではなく、“語り出すもの”そのものになるだろう。
空間が語り——
空間が歌い——
空間が踊る——
世界とは本来、そのようなものでなければいけない。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: カント, クォーク, ゲージ対称性, フッサール, メルロ=ポンティ, レプトン, 空間構文