ナブラという名の竪琴

Monad
 ヌースでは、無意識の主体は微小領域の中に息づいていると考える。いや、考えるというよりも、もし、主体を見えている世界そのものと考えるならば、これは必然的な帰結だ。前方向は常に一点で同一視されている。実は、この同一視されざるを得ないという事実に微小領域へと一気にワープする通路が開かれているのだ。

 いつも言ってることだが繰り返し言おう。今、図のようにモノを中心にその周囲を巡ってみる。すると、モノの中心点の背後にあると想像されている空間の奥行き方向はすべてその中心点と一致して見えていることが分かる。つまり、モノの背後を天球面の彼方とすると、それらはすべてモノの中心点と一致してしまうということなのだ。ここでは何の矛盾もなく無限大=無限小が成り立っている。そして、おそらく、この同一視されることがナブラ∇ = ( ∂/∂x, ∂/∂y, ∂/∂z )という微分演算子の本質的意味だろう。∇とはヘブライ語の竪琴の意味から来ているらしい。まさに天と地の間に張られた弦という意味にピッタリだ。ヌースでいうところの人間の外面、すなわち無意識の主体領域とは、こうした存在の竪琴の弦によって結ばれた〈微分化=差異化〉の位置なのである。

 世界はマリョーシカ人形のように極大世界を極小世界の中に映し込んでいる。ヘーゲルの世界精神とライプニッツのモナドを接続させること。それは4次元の知覚認識によって可能となるはずだ。そこでは帝国的な俯瞰の視線が、ものの見事にアルケーの空間へと反転を起こし、肥大化したコギトはコギトであることを止める。君には大空から流れ始めたこの逆光の弦楽が聞こえるか。生と死を分つ境界はまもなく破られる。