死は持続し、流転する

主客分離の空間と主客未分離の空間は僕らが生と死と呼んでいるものの関係に同じ。両者は相即不離の関係にあり、物理学的には時空と複素空間の関係として記述されている。

ヌーソロジーは、まず、この二つの空間がどのような秩序で構成されていっているのかを超感覚的知覚の中に思考体として浮上させる。新しい人類のための新しい場所論ともいえる。

この二つの空間の接点に身体が構成されている。その意味で人間の身体は物質でもあり精神でもある。精神としての身体を覚醒させることが、そのまま死の開示へと繋がっている。そして、この死の開示によって、物質的身体はその役割を終える。月から太陽へのルートがそこに開かれる。

そう考えると、奥行きとは死の在処ともいえるのだろう。わたしたちは主客未分離としての非自己を、まずは奥行きの中に感じ取らなくてはいけない。この奥行きに自らを支えている持続感覚が息づいているのであり、その感覚が同時に「自分は生きている」という生命感覚ともなっているのだ。

ここから生命観の根底的な反転が起こってくる。つまり、生命の本質力とはわたしたちが「死」と呼んでいるものの側にある、ということだ。

死は持続する。死は想像する。死は思考する。そしてその思考は流転する。流転して組織化する。何を?物質を。奥行きが開示されてくれば、その様子が手に取るように見えてくることだろう。

未だほとんどの人には意味不明かもしれませんが、2013レクチャーで使用したcave compass2012モデルを添えておきます。サブリミナルね(^^)