「いつでも今、どこでもここ」という新世界

「いつでも今、どこでもここ」という感覚は、誰でもが直感的に感じることができると思うのですが、その感覚が立ち上がっている場所のカタチを、認識に明瞭に浮上させることがヌーソロジーの思考を行ってための入口になります。

「いつでも今」ということは、あらゆる瞬間が対称性を持っている(置き換えが可能)ということであり、「どこでもここ」ということは、あらゆる位置もまた対称性(置き換えが可能)を持っているということを意味しています。こうした対称性が生まれている場所がわたしたちのこころを作っていると考えましょう。

今までの人間の知性は、空間と時間の方にばかり向いていて、ここはここ、あそこはあそこ、今は今、昔は昔といったように、分離を前提とした非対称的な思考のもとに働いてきました。これからの時代はこうした思考のスタイルは徐々に勢力を弱めて、こころの思考が芽吹いてきます。

「いつでも今、どこでもここ」を前提とする思考とは一体どういうものでしょう。一昔前ならば、そこからはもう思考ではなく、感じることだ、で済まされたわけですが、宇宙はこのカベを破ることを強く要請してきているように感じます。「こころで感じること」を超えて、こころで思考すること。そして、その思考を感じること。

目の前に現在が見えるとすれば、そこには永遠が重なっています。目の前に一つのモノが見えるとすれば、それはすべてのモノと重なっています。それがこころで知覚するということの意味であり、この知覚のもとにこころの思考が開始されるのです。

この「いつでも今、どこでもここ」の世界は、過去や現在や未来や、ここやそこやあそこの成り立ちを、その奥で支えている宇宙の深みと言っていいような場所です。この場所がなければそもそも世界自体が存在することができません。だから、それは世界のいのちとも言えます。

この「世界のいのち」に身を浸して、今までの知のかたちを再構成する作業を始めなくてはなりません。そうすれば、きっと新世界が開いてくるはずです。