「もの」を始めるということ

4月5日(日)午後2時から「量子論の新しい解釈」と題して佐藤さんの講演会が神戸サラ・シャンティであるようです。佐藤さんの研究はヌーソロジーとも深く絡み合う重要な研究だと感じています。お近くの方は是非!!
 
一応、物理学の範疇だから量子論の世界も時間と空間の関数として形式化されている。でも、真実は時間と空間の方が量子から作り出されている。この転倒が量子論を非常に分かりにくいものにさせている。本当のところ、量子論とは「いま、ここ」で展開する魂の襞について語っている理論なのだ。
 
だから、時間と空間を取っ払うと量子論はウソのように易しくなる。そこに出現してくるのはおそらく魂の幾何学なのだ。佐藤さんは(砂子さんも)、その聖なる幾何学を追いかけている。物理学が産声を上げているところのその当の幾何学。それがプラトン立体だとすれば何と夢があることか——。
 
さて、ここからが本題。
 
アンマの創造の意志の表現がすべてに先立って存在している。ドゴンの宇宙哲学ではものは考え=概念をとおして現れるのであって、(ものが)それ自体で存在することはない。アンマがものを始めたとき、彼はその前に脳の中で考えた。その考えをはじめに彼は脳の中で描いた。——『青い狐』p.97
 
今、僕たちが時空と呼んでいる場所はみんな物質なんだよね。物質というのは中身のない「もの」と考えるといいよ。ほんとうの「もの」には精神という実体が詰まっているのだけど、物質はハリボテ。で、そのハリボテを拡大して時空という概念を作っている。だから、時空はハリボテのハリボテのようなものと言っていい。そこには何もない。
 
例えば。何だっていいから目の前にある物質を回してごらん。物質は回るけど背景の空間は全然回っていないでしょ。これはね、物質の内部と物質の外部は全く違う次元だということを意味してるんだ。だから、物質の内部をいくら引き延ばしたって、物質の外部には出れない。時空とはそうやって、物質の内部を膨らましてイメージされている場所なんだ。バスケットボールの半径が12cm。宇宙の半径が137億光年。ただサイズをでかくしただけ。
 
尺度で世界を見たって何も分からないよ。本当の空間に何一つ触れていないんだから。尺度によって空間の真の次元が全く見えなくさせられているんだ。物質の外に出ないとね。
 
で、物質の外に出られているのが君自身の眼差しがある空間なんだ。つまり「奥行き」。そして、その奥行きから「もの」が始まっている。つまり中身=実体の世界に入るんだね。外部=内部ってのはそういうこと。
 
僕らはみんな物質によって催眠術にかけられているんだよ。魂を丸ごと物質に操られている。そろそろ「もの」の作業を始めよう。それが人間がやるべき本当の仕事なんだ。

フォニオの発芽